トイレに入るときどうしても新聞などを手に取る。
新聞じゃないときは太極拳だったり、なんば歩きだったり、だいたいそういった身体関係のものが多い。
それはトイレでしている行為のせいかな。
昨日、いや、おとといは「原初生命体としての人間」だった。こんにゃく体操で知られている野口三千三の岩波現代文庫に入っている一冊。
この先生の体操の授業は私が大学の時やってたのだ。だのに一度も受けることがなく、今この本を読んでみるととても残念に思える。そのころ自分はとても頭脳優位だったように思う。当時、私が愛好していたのは三木成夫先生の授業。著書は中公新書の「胎児の世界」。製本しかかったままのその本をひさびさに見た。そのころの倍生きてしまった今、またなにか螺旋の同じ位置にもどってきたように感じる。
言葉は頭脳にイメージを伝える力が強くて速い。しかし、そこから直接何かを作ることはできない。何かを作るためには身体というゆっくりなところから、地面からの吸い上げみたいななにかが必要だろう。
自分の歩みは、イメージのすばらしい「三木ワールド」に対する頭脳的理解からの脱出だったかな。この「胎児の世界」は言葉のイメージもすばらしいけど、図が素晴らしい。意味を伝えるための美は、絵画の美を吹き飛ばす。
で、きのう朝、生卵をたててみた。(梶井基次郎、檸檬を思い出した、今。)
ちゃんと子供が小学校から帰るまで立ってたよ。Mac iBook G4の白いふたの上で。
そのあと、こどもがえーっほんとーって言って、やってみるっ、
って転がして割って、昼間から目玉焼きたべたけど。
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