プリントゴッコで地の絵を刷って、その上にインクジェットで文をプリントしました。
葉書を作る、とか、手紙を書く、ということが、自分にとっては重要な行為です。前回、2006年の出版記念展の時は、案内状のDMもプリントゴッコで自作しました。しかし、これは大変すぎて、もう止めよう、と思いました。或程度不特定な多くの人に配るのに、完全自作は時間的負担が多すぎです。版画のようなものをばらまいてるんですからね。何年もやってきて、ようやく、そういうことに思い至るようになりました。それだけ、「葉書」はついつい自分で作りたくなっちゃうもの、なのです。
どんなメッセージをどういうかたちで表して、グラフィック部分はどうする?って考えることが、「本の雛形」のようにも感じる。そして、それを作ることは「明日何着てこうか?と服の組み合わせをするのは、私にとって数多い、幸せを感じる時間です。」という女性の楽しみと同じ。
写真一番上は、いろんな紙に刷っている様子です。
教室やってると紙の切れっ端が沢山出るのでそれを厚みで分けたりして、こうやって葉書を作るときに使います。前はいろいろ試して、これだって紙に決めてやっていたんですが、それだと紙が増える一方。それに全部が同じじゃなきゃいけない理由もよく考えたらはっきりしないし。どの紙のが来るかはお楽しみってことでもいいんじゃないって思うようになりました。
写真まん中は原画です。よくいく公園のクヌギがなんだかいい感じなので、スケッチしないでイメージで書いてみました。中学生くらいのときこんな感じの木の絵を描いていたな〜なんて思いながら。プリントゴッコはあんまり細かい線は出ないので、一生懸命描かないように気を付けてます。さらに、コピーをとって原稿を作る時に、アミのスクリーン使ってみました。新聞の写真みたいにアミ点になります。細かくしないで、雰囲気で見せる、ねらい。
文字はとても小さくして、「紗」がかかったみたいにしてみました。プリントごっこでは字はうまく刷れないので、ここはインクジェットプリンタで。書体も明朝とかまともっぽい字にするとなんだかあらが目立つ感じがするので、もっぱらこの「じゅん」という字を使う機会が多くなってます。内容は読んでいただいてもかまわないし、涼しい紗の感じを味わっていただくだけでも、な〜んて勝手な気分で作ってます。
お葉書ありがとうございます。
なるほどあの葉書にもそんなカテイが!
山崎さんのなにごとにつけてもその過程話(とメモメモ)も好きなのです。
『どんぐり』写真拝借しました。
http://bookbar5.exblog.jp/8353483/
広い広い「本の場」の、ひとつの扉の大きな開脚に祝砲の花火を。
暑いですねえ、今夜も。
4-kamaさま
どうもありがとうございます。
「どんぐり」掲載も、どうも。
そうそう。過程を語らず、結果で勝負、みたいな、いさぎよさが気にくわなかった。んです。武士に二言なし、だっけ。
だいたい「本」を展示して見せるとき、何も言わなかったら何もわかんないって思ったのが説明癖のはじまり。「よい作品は何も語らなくたって、ひとりでに。」みたいなことがいやだな〜と思う。「よい作品はいくら語り倒したって、そんなものと関係なく、いい」みたいにしたい。