2008年12月28日|ブログ|個別ページ| コメント(2)
手製本に関して、私は糸の作業があまり得意でない。手編みの花ぎれには初期にとても苦労した。いっぽう糊使い(刷毛使いなども含む)、刃物使い(メスでの細かい作業、研いだりすることなども)についてはそれほど難しいと思った記憶がない。(革を漉く、という作業は難しかったけれど。「漉く」という字だけど、革を専用の包丁で削いで薄くする作業のことです。)
教室を長くやってると、たくさんの人の作業をみて、自分が何が苦手で何が得意なのか、比較することで自覚させられてきて、上のような理解をするようになってきた。
得意なことを教えるのは難しい。自分は自然にできるようになったので、なぜできたのか自覚的でないから。
人それぞれ「自分なりの理解の仕方」っていうのがある。それは多分、脳自体というのか体自体の中にある回路などが違っているからと、経験がちがってるから生じているんだろう。だから、やり方そのものをそのまま相手に渡そうとしても受け取り不能なことも多い。
絵画の教員も、ある学年で試みてうまく行った教材でも
それを何年も使い続けるという事はないです。
生徒は変わるからいいのでは、と思うのだが
慣れが怖いのかも知れない。
綴じ付け製本の花布編みは、私も苦手です
うまい人がやるとどうしてあんなに簡単に
花布の固定 と言われる作業ができるのだろう
チェケルールさんは、針に糸が通せなくなっても
花布は見事に編めたらしい(神保町の師匠による、最晩年近くに
教わっている)
うちの教室、入門編プログラムはもう十数年基本的に同じものです。はじめて4〜5年くらいで、すごくやる気なくなったことがあって、その時はこのプログラムにも飽きていたように思いますが、そのあとはそういうことはなく、毎回少しずつ、気づいた点を改変していってます。
学校で週1回授業で製本教えていた時は毎年少しずつやり方を変えていました。それは毎回うまく行かない点を少しでもましにしようという動機と、去年はこれやったから、今年はちょっと変えよう、という理由と両方。
同じものをやるのは準備が要らず、楽という面と、飽きて来てモチベーションを保つのがつらい、という両側面がありますね。