ヒッポファミリークラブに参加したのは2004年末だったと思う。「19カ国語を話そう」とか、最近は「多言語のある日常」をテーマワードとして活動している団体。
「人麻呂の暗号」という本を学生の時に読んだのがヒッポを知るきっかけ。この本の中では、確か、万葉がなで書かれた万葉集を音読(これをヒッポでは「歌う」という)するんだけど、それを現代の韓国語や中国語の音から昔の音を推定してやってみながら、隠された意味をさぐっていく、というようなスリリングでとっても楽しい試み。これをやってるトラスンスナショナル・カレッジ・オブ・レックス、という学校が、ヒッポファミリークラブの研究部門。当時、自分もそんなふうにやってみたいな〜、と、とても思った。
で、ヒッポ自体は、どういうことをやるところかというと、言葉を自然科学する、ということをかかげていて、「赤ちゃんはなぜ周りで使われてる言葉を、文字もなにも知らずに、しゃべれるようになるんだろう」という疑問や、多くの言葉が話されてる地域の人は、別の言葉の話されてる地域に言っても早くしゃべれるようになる(いわゆる自然習得)のは、なんで、みたいなところから始めて、ではそういう「多言語がある環境を人工的に作って、赤ちゃんのように口にだして「歌って」みたら、多言語が習得できるんじゃないか」という実験をしている。こう書くとすごく「人工的」な感じがするけど、実際にたくさんの人が集まって言葉をしゃべって感じたり、考えてしゃべりあっていると、その場自体が「人間という生き物の自然」と思える。
具体的には、いくつかのストーリーが19カ国語(まだ増えるようです)で演じられているcdを聞いてそれを口にだして真似るところからはじめて、真似たり自分のことをしゃべったり人の話を聞いたりするワークショップを毎週いろんな場所で行っているのが基本活動(ファミリーっていいます、これを)。そして、海外のいろいろな場所の家庭にステイする「交流」、逆に日本に来ている外国の人を自宅にステイしれもらう、「受け入れ」なんかも盛んに行う。
で、うちは上記のように自分の興味で長女を巻き込んで参加。一昨年からは妻と長男も巻き込むことに成功。同じ内容を19もの国の言葉で聞ける、というのは、それだけでもかなり面白い。
で、とうとうこんどのゴールデンウイークにマレーシアに家族4人で交流に行くことにした。むこうのお宅にステイするのだ。
今は、マレーシア語、英語、中国語、広東語などを聞いて、歌ってる。
でも、べつにヒッポに魔法があるわけではなく、ともかく何度でも繰り返し口に出していってみる、ということと、「言葉ってそもそもなんのためにあるんだっけ。そうそう、人に何かを説明したり、伝えたりしたいからだよね。」みたいなことを常に意識いているように自分をしておく(つまり心が人に対して開いてるってことだね、)というのがあるだけ、なんだけど。
自分は今やってることは「アート寄りな手製本」とでもいったものだが、それも言葉への興味から始まってる面もずいぶんある。ブログに「製本」のこと限定で書いてこうと思っても、な〜んか「描き割り」みたいな表面しかない自分な感じが強くてつまんなく感じるので、いろいろ書いてみようかな、と思って、ヒッポのことも書いてみようと思う。そう思うまでにずいぶんかかるのが私というキャラだ。
ヒッポでは、いろんなことをやっている。(赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるの?、音声を分析するときのフーリエ変換って何?数式ってどういうもの?、日本書紀や古事記や万葉集には何が書かれてるの?、生命はどうやってできた(分子生物学)、物はどこまで細かくできる?(量子力学)などなど。
それが、なぜ起きてきたのか、のいきさつは
「ことばを歌えこどもたち」榊原陽 著 筑摩書房(あとがきを見たら、印刷に恋して、などの著作のある、松田哲夫さんへの謝辞があった。)を見るとわかりやすい。この本が書かれてからすでに20年以上。
私は上記のように、人麻呂の暗号から知ったわけだが、去年末から「部分と全体」ハイゼンベルグ著の輪読会に参加するようになり、そもそもの「海外との交流」にもようやく参加することに。長らく続けていた低空飛行参加状態から少し離れつつある。
太極拳でも低空飛行の状態が長かった。
しかし、熟成というのか、わけがわからないながらも続けている状態っていうのは、やっぱり必要なんだと、妙に確信している。
製本だって、なんだかわからないままに習い始めて、教室を始めるまでに8年(けっこう早いじゃん。でも、それはその前に学校で美術のこといろいろやってたからです。)。