2009年2月18日|太極拳と気功|個別ページ| コメント(1)
音で伝えること。
今日、なんか引っかかってきたこと。3月に太極拳の中国の先生が来るのだが、そのことをうちの先生が話している時、套路の形に名前がそれぞれついているのだが、その意味、けっこう口伝で伝わっているので、表記した時いろいろ変化しているという話になった。それに加えて、気功の先生は、字の意味より音が大事、と言っていた。りゅうふんすーびー、と聞こえる六封四閉は、字面を見ると意味不明なんだが、それは音から別の漢字が当てられて定着してるものらしい。ああ、だから、いつもうちの先生は套路の漢字を日本語で読まないんだ、と納得した。
気功の先生の講義も4月から始まるので、是非受講したいと思うのだが、テキストはつかわない、とおっしゃっていた。書かれたものは、誤解をまねく、ということなのか。
文字はとても役にたつものだけど、全然伝わらないこともある。文字に過剰な期待をしてはいけない、ということだ。そして、口伝というものが大切にされるということもなんとなくわかる気がする。
赤ちゃんは文字以前に、音から言葉を知る。ヒッポの活動が、その点でも、意味深いという印象を持った。
文字、は、音楽で言ったら、楽譜にしかすぎないのかもしれない。(私は音楽をしないので、あんまりわかりませんが。印象としては。)
で、自分の本(製本の技法の本)なんかでは、伝えようと努力をするけど、やっぱもう無理、と思う。
扱う対象がもっと「意味」みたいなことだったらなんとかなるのかもしれないけど、「こんな感じ」は伝えるのは無理、実際にやってみせないと。
音は精密に録音、保存、再生できる。映像もしかり。だからそれで伝えられるよ。という結論にもなりそうだけど。太極拳を始めたころ、ベテランの人に、「ビデオでものすごく練習して覚えてから来た人がいたんだけど、やっぱり、体重の移動とかは全くわかってなくて、違ったものになっていた」と、聞いた。
「教室」がある意味ってそういうことだ。実物の先生がそこで動いていて、自分でも動いてみて、聞いたり、指摘されたり、そうでないと、なかなか。
現場、が大事です。
そしてそれは、とっておけず、再生できず、絶えず変化していて、魅力的。