太極拳でご一緒させていただいてる方から大分前にお借りしていたDVD。やっと日曜日に見ました。1991年に撮られたものなので、養老孟司さんがとても若いです。
野口三千三さんが、養老さんを評して
「自分ととても同じことを考えてる、だけど、それだけじゃなく、『どういうことだそれは。全然わからないぞ』ということも言っている。そこに激しく惹き付けられるので、敬意を持つ」
という意味のことを言っているのが印象に残りました。
・いろいろな人はみんな違う角度からものを見るから、人によって見え方が変わって、それが面白い。
・解剖学の本に骨の形は図示されているけど、重力の方向が書いてない。それと時間の経過が書いていない。
・漢字の元、甲骨文字に深く共感していて、体の感覚から文字が作られたというように、野口さんには理解されているようだった。
などのことが印象に残りました。
私が、大学生の時、野口先生の授業は有ったんです。
「こんにゃく体操」「野口体操」の名前は知っていました。受けてみよう、と思った記憶はないです。今このDVDを見ると、すごく面白くて興味をかき立てられます。大学当時、4年間、三木茂夫先生の「生物」の授業を受けつづけました。私には、三木先生と野口先生の感じ方はつながりがあると思われます。ただ、大学生当時は、自分が今よりもずーっと文字と視覚の人だったような感じがします。で、文字と視覚から「発生の不思議」を感じとって感動していたのが、三木先生の授業だったのでしょう。文字とヴィジュアルでなされた表現を感じ取って、それを自分の血肉にしていくには、実体験が不可欠だと思います。体ですることはすべて実体験ではあるのですが、視覚(書き出された文字を読み取ることも、広く視覚に含まれると思う)だけによると、体験は薄く、あらたな何かを作りだす原料としては、足りない感じがする。
「体操」(野口先生の言う体操、私にとっては太極拳も含む)や、「歌う」(好きな歌をカラオケで歌うことも、ヒッポファミリークラブで多言語のCDをまねしてしゃべる、つまり歌うことも)っていうことは、人為的に体を使って、「自分」を感じとっていく実験なんだと思う。
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