2009年11月25日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
年に一課題(今年度は私の授業は4回)の大学の授業。
課題説明で担当のM先生が、本について、この情報化(っていうのは暗黙知を減らすってこと?)の進んだ時代に、手触りの質感、重さをもった本を作るのってどういうこと?、考えながら課題しなさい。というようなことをしゃべった。
学生時代にデザイン科にいながら、企業の宣伝をしたりするのがいやだな〜と思っていた自分は、いわゆるデザインのちゃんとした現場を経験することなく、「手作りの本」を作る現在に至ってる。宣伝がいやだな〜、という以外に「手を動かして生きていたい」っていうのがあると思う。自分にとっては、「手」が、実物世界とつながる自分という実体をつなぐ窓口。昆虫の触覚のようなものだろう。それが、視覚という別の窓口と連動することで、自分の中に、像ができる。
連休は「骨盤おこし」の講習を受けた。少しでも自由な身体になっていくようにしたい。
骨盤+股関節と連動する胸、その胸郭を前へ出し開く「胸出し」がとても私に有効だった。
懸案の猫背の解消にはげみたい。
ほっといても全部(手作りで製本すること、ヒッポで多言語(ここは量子力学や分子生物学、記紀、万葉集、言葉というもの、人間って?というような風に「全体感」のあるワールド)、三木先生の解剖学(それを聞いた時、受け取った自分は表面的には随分、観念的だった)、均整術を受けることから太極拳、骨盤おこし、への流れは直接作業での身体使いにつながってる)は自分の中でつながっているのだが、多分、それをある種のストーリーとして、流れがあったり、地図のように俯瞰できたり、シェーマとしてとらえることができたり、そういう「まとめ」がしたいんだろう。まとめ、といっても一切合切をまとめて単純かする逆で、すべての関連をつけて、美しい立体図を作るようなこと?観念的にも実物としても。
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