この間の日曜は、妻といっしょに「骨盤おこしセミナー」に行きました。私はすでに4回目。
股関節の位置とか、骨盤が後傾してるのがどんなこと、とか、少しずつ理解していってはいると思います。毎回骨盤おこし流スロージョギングなんかもするのですが、踵で蹴らないで走る、とか大腿四頭筋に力を入れずに、とか、とてもわかんない感覚です。でも力が入ってる、ていうのはわかってきたので、それがこういう場合進化なんです。(一方、蹴ってる、って先生には言われるんだが、こっちは本当にわからないです・・・)
多分、わからないことを、身体でわかっていく、という過程が好きなんだな、と思う。
身体でわかる、って「腑に落ちる」って感じでしょうか。
月曜はヒッポのファミリーで、まあ、子供達といっしょに多言語で遊ぶ場なんですが、始まる前の15分で、輪読(音読をして、感想を言ったり書いたりする)もしてます。主にうちのファミリーのフェローのLさんとやってるのですが、ここもう1年以上「DNAの冒険」を読んでます。どうやって分子生物学を、一般の人が理解していくか、行ったか、の記録みたいな本です。ここでも「わかる」ってどういうことなんだろう、って考えます。
で、昨日は太極拳と「気を学ぶ」の講義。
太極拳は老架一路を通してやってからその一部分をとりあげ、その中に含まれてる基本的な身体使いの練習をします。
気、の講義の方は治療の時に問題になる、人間の身体についての「気」の各論に入ってきました。先生は中国と日本の両方の病院で働いたことのある方で、身体というものの理解の仕方を、いつも中医(漢方)と現代医学とを対比して説明してくださるので、わかりやすく思います。
頼まれて作ってるものの方は、プリント基板を表紙芯にして、革を使って、箔押し、と例によって、寄せ集めな進み方。ようやく、着地点が、霞のかなたに見えたかな?って感じです。いろんなもの、音からの印象とか、もちろん手にいれられる素材とか、「こんな感じ」っていうイメージが出てくるまではよくわからない。その時にならないと、わからない。(これでは「仕事」にはならないですね・・・でも、それが自分のやり方になっていて、それで生存してる。わからない、が、わかった、時が、すごくうれしい、という意味ではいろいろわかりたいことがあるのと、自分が頼まれて何かを作るのとけっこう近い感じがする。)
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