きのうのヒッポファミリーには本部のアッキーが来てくれた。
アメリカに留学しての英語が自然習得されていく時の感覚のことを少しだけ言ってくれて、
自分が赤ちゃんで日本語を自然習得していくときのことを自分ではおぼえていないけど、英語を自然習得した時は、意識がある状態だからそれがよくわかって面白かった、と。
あー、これを体験してみたいのだな、自分は、と思った。
それと、自分の教室で、人ってそれぞれ思考の回路が随分違う、という話をよくするのだが、いつも話している定番的話、子供の頃、弟に算数をうまく教えられなかった話をした。大人になって大分して弟本人から聞いたのだが、彼は、指を数えて足し算をしていて、親か先生かからやめなさい、と言われたのだそうだ。そうしたら、頭の中で想像の手指を数えるようになった、と。これを聞いて、私は教えられなかった理由がわかった、と思った。私は指を数えたことなどまったくなく、どうやって自分が計算をしているのか、自覚できてなかったので、弟の思考体系にコンタクトすることができなかったのだ。と、いつもここまで考えていた。
先週は、では自分はどうやって計算ができていたんだろう、と思った。そして多分、九九みたいに数字の組み合わせをおぼえたんじゃないか、と思った。1+2=3とか4+5=9とか。根拠はない。ただ、そうすると先生から丸をもらえる(つまり一般的に正しい)、と。
ううむ。弟の方が断然、論理的思考だと思う。
身体で悟ってない「正しさ」は、よくないものだ。
あーあ、かなりのパーセンテージでそういうよくないもので成り立っているのだ、自分。まあ、これからぽつぽつでもそういうことに気づいていくしか無い。(常識を疑う、っていうことだけど、そう言ってしまうと、なんとなく違うニュアンス)
腑に落ちる、という感じが無ければ。
でも、同じ話を繰り返しすることで、変化がある、ということが、いつもながら発見だったのはいいこと。そこで終わり、と思っていたことがそうではない、というのがうれしいことです。
娘がお世話になりました。
かーめんの「腑に落ちる体験」を楽しみにしています。
自然習得は、口が勝手にしゃべる、
みたいなことになるんでしょうか?
遅くなって部屋に入るときに「デゾレ!」と言ってて、
しかも、片手は顔の前に立てていて。
その時は自分の言った音の意味は知らなかったのですが、
後で、イチローのフランス語にあることがわかりました。
場面とぴったり合っていて良かった、と思いました。
ほんの単語なんですけどね。
>よーかんさん
書き込みありがとうございます。
ちなみに「かーめん」はヒッポでの私のニックネーム。「イチロー」はヒッポにいくつかあるCDの名前です(それぞれに十数カ国語があり、今現在は合わせて21カ国語があります)。このCDを聞き込む、真似し込む(へんな日本語ですね、私の造語。ヒッポ的に言うと「歌い込む」かな)が、ヒッポのやり方の一番もと。
それをやったからしゃべれる、というわけではないですが(なのでウェブでも随分たたかれてます、ヒッポ)「ことば」ってなんだろう?と考えることは、すなわち、「人間ってどういう動物なんだ」ということ。
そういうことを、しゃべったり、身体を動かしたりすることから身体で悟っていく可能性のある場だと理解してます。