このところ、電子書籍の報道が多いように思う。キンドルが出て、いよいよIpadも。
まるで去年のインフルエンザのパンデミックの時のように、胸がざわざわするのは、まあ、自分の仕事とかなり深いつながりを感じるからなんだろう。
読みたいものを読みたい時にすぐに読めるのは、大歓迎。だから自分は簡単に電子書籍に親しむであろう。今だって8割がたは図書館で借りて本を読んでいる。図書館で借りれない本はアマゾンで買う。持っている本は減らしたい。その他その他。そんな生活はあっというまに紙の本じゃなくて電子書籍に移行する気配に満ち満ちてるではないか。
私のやってることが、これから役に立つ、とか、そういうことを言ってくれる人も逆にすごく増えてきたと思う。つまり、今の紙の本が、貴重になって、アート化していく、と。
つまり、紙の本の、ものとしての価値があがっていくから、と。
そうかもしれない。が、単純に行かないようにも思う。
そんな気配の社会の中で、本のアートの作家じゃなく、注文する人が求める製本を高級サービス業としてやる職業をやっていければいいな、と思う。(それには、紙や糊の保存とか修復のスキルや知識が不足している現状をなんとかせねば。製本に関して、随分いろんなことができるようになったつもりだったけど、ふと冷静に自分を見ると、実はできないことがいっぱい。
もっと、積極的に、スキルアップしないと。(紙や糊の化学的理解、小口金付け、いろいろの金箔押しなどなどなど・・・・・・)
こんにちは。
ご無沙汰しています。
以前、「Pen」か何かでニューヨークで活躍するアメリカ人の
製本家の記事を読んだことがあります。
その人は、クライアントの要望に従って、既存の本を豪華本に
装幀し直す仕事をされていました。
その時は、「山崎さんの志向とは、ちょっと違うかな?」
と思いましたが、意外にその方向も「有り」なのですね。
わたしも今後は、電子書籍のように物理的容量を持たないものと
マテリアルを活かした「本」に二極化していくように思います。
こんにちは。あ、ばれましたね。指摘されて思いました。確かに「高級」サービスと書いてます。なんとなく、スギオカさんから
『「山崎さんの志向とは、ちょっと違うかな?」 と思いましたが、意外にその方向も「有り」なのですね。』
と書かれるとうしろめたい気がしました。なぜでしょう?
現状、単に、「高級なもの」にビビってるだけなのかもしれない、私です。そのびびりが取り去られたら突然豹変、なんてこともあるのかな。あるのかも。
「物」を好きだと思う心そのものは変わらないのか。抽象的に書いてもしかたがないかもしれないけれど、自分の好む「やり口」というのはとてもある。
「高級」って、ほんのわずかしかとれない素材を選りすぐって、集めて、すごい技術で構築していく、みたいなイメージがあるけれど、自分は、素材の高級さにものを言わせるみたいのは好みじゃない。人が「物」に愛着を持つって何だろう。思い出のある物を捨てられないとかそういうことかな。それも妄執かな。
しなくていい余計なことを、したくはないと思うのですが。
なんかスギオカさんの書き込みとかみ合ってない。。。。
あっ、すいません。
何か余計なことを書いてしまった感じで (^-^;
わたしが「山崎さんの志向とは、ちょっと違うかな?」と思ったのは
たぶんそうしたサービスを注文されるお客さんというのは必ずしも
いい趣味の人ばかりではなくて、それこそ「素材の高級さにものを
言わせ欲しい」人ってのも居るんじゃないか、と。
そのあたりへの折り合いを、しんどく感じられるのではないかと危惧
した次第です。
いや、でも、始められる前から腰を折ることもないですし、
山崎さん流の折り合いのつけ方もあるのではないかと思います。
その一歩を踏み出されるのであれば、むしろ是非応援をいたしたく。
大切な本を自分だけの「形」にしてもらえるのって、嬉しいサービス
だと思います。