手で作ると、いろいろな対応が可能だ。それに悩まされる。それが面白いんだが。
市販の、両面に印刷できる紙だと、相当な厚さ(一番薄いもので157g/㎡、四六判で175キロ、厚さだいたい0.4ミリとか)である。
これを使って本を作るとすると、普通の造りだとうまくいかない。背を固めすぎれば開かないし、無理に開けると背が壊れる。背をやわらかくすればはじめから型くずれしたものになる。
というわけで普通とはかなり違った造りにする。
が、どれも一長一短が、当然ある。
普通のかがり機の針のピッチは決まっているようだ。型くずれせず、経済的でもあるピッチが選択されてるのだろう、と推測する。絵本などでよくある、1折り中とじのかがりのピッチはもっと細かい。これは、折りが一つしかないので内部まで糊が届くことがなく、真ん中の方の紙が動いてしまいやすいからだろう、と推測。
手でする時の縫い目の間隔、結構適当にやっている。しかし、上のような硬い紙になって糸も細くなってくると、折りの内側の紙がうごきやすいという結果に。
そこで1センチくらいの細かいピッチで綴じてみることに。しかも手とじの基本の綴じ緒のある本かがりで。ページのゆるみは防がれるが、どのくらい型くずれを防げるのかはわからない。まだ途中なので。
(これに対しては、グニャグニャでかまわないという態度もありだ。本ではなくノートのように書き込むものならば、よりそうだ。)
理想の本の形というものはあるのか。
自分はいつも出て来た状況の中で何かをすることしかできない。
あまりにも求める形がないのではないか、と自己嫌悪することも多い。
しかし、「ない」ものは「ない」。
どこかに「範」を求めようとしていないからか。
自由になるためには、自分が「でき」なければならない。
写真を勉強していたり
初めてのグループ展をしたりしている
写真家から
A4にプリントした写真を
綴じるのはどうしたら というような質問を受ける事が
多いのです
私はまだ有効な答えを持っていないです
私も有効な答えがないです。
これから先、ある程度の定型ってできるんだろうか。
その定型を作る努力をする誰かがいるかもしれないけど、
表現に意識的な人が、人工的に作られた定型の中で表現しようとは思わないと思う。
型に合わせて表現しよう、というのは、その「型」がとても力を持ってなければならない。
たとえば、マンガ、とか。
「形式への大胆な服従」って昔、リルケが「若き詩人への手紙」の中でゲーテの「イタリア紀行」について書いていた、じゃなかった「冬のハルツの旅」だったかな。急に思い出した。合ってるかな。記憶ってすごいな。
というわけで、私はその場その場で作っていこうと思ってます。