2010年10月 7日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
私は、美術(どちらかというと工芸?)の作家になろうと思った時期があって、その生き方って、作品が商品になる、っていうことだ。と今思う。
商品にするためには、クリアしなければいけないいろいろなことがあるのは、厳しいに日本の製造業を見ればわかる。製造者の責任や、クレーム対策、ものの完成度をあげる喜び。などなど。
結局、あまり商品をつくらないまま、教室が主なくらしを続けている。
すなおに消費者として、そこまでやってなくてもぜんぜんこまらない、という微に入り細を穿った商品がおおい。実質的にこまらなければいいんじゃないか。要らないことまでやんなくていい、とか思う。しかし、それじゃあ商品にならないことも多い。
革に傷があったからって、なんか困ること、ある?
本の帯がやぶれてたからってなんか困ることある?(いや、その価値観でうごいてると、ブックオフにちゃんとした値段で売れないっていうのは、ある。困る、それは。しかし、自分が読む時は関係ない。)
こういう考えをしてると、「商品」を作る作家な生活に違和感。
不揃いの野菜でかまわない、と思うのは消費者の都合。
かたちがそろっていないと効率的な流通をさせるのが無理なので、という製造者の都合だった。
無駄をすることでなりたってる社会。そんな寒くなくても秋になったらブーツ履きたいのを否定できない。かっこいいってなんだろう。
話は最初から横道に。本当はこの間デパートで販売した、本の形の箱の作ってる途中の写真をアップしてそれについて書かなきゃと思ったのだ。ひそかに商品を作ったのだ。私。
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