2010年11月 2日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
学生の時、4年間いや、6年間かな、聴き続けた講義。三木茂夫先生の「生物」。
初めの頃は、このことを使って何か表現ができるんじゃないか、とあさはかなことを考えていた。言葉から「絵」をクリエイトしようというばかばかしいことを考えていた。「挿絵」が文章の解説になっては、無意味だろうということに気づかない、まぬけぶり。
昨日は岩田誠先生のワークショップがヒッポファミリークラブであった。
「ヒトはなぜ絵を描くのか」というテーマでのお話。
ヒッポは多言語の自然習得を試みながら、国際交流もする、という団体だが、
ことばって何だろうと考えながら、ことばっていうことそのものを楽しむ、ような姿勢がある。(それは、人間ってなんだ?ということでもあると思う)
その結果、派生的に科学や数学を「ヒッポの方法」で理解しようというアプローチがあり、それが私にはとても面白い。
学校の時に、「勉強」の路線から外れている私も、いっしょに楽しんでいい、というのがありがたい。
で、岩田先生のほかの動物にないヒトの特徴は
1、ことばを話す
2、ハイハイをする
3、絵を描く
だそうで。まあ、ヒッポだからことばのことが出て来るのは当然として、ほかの二点が私にはものすごく興味深い。まあ、「絵を描く」のはある意味挫折してる私なのだが、なんといってもハイハイ。これはすでに「歩いている」の?
人間はなんで立つの。
というところに。
骨盤おこしでは、赤ちゃんの歩きに注目している。そのように歩ければ、というニュアンスがある。すわっている赤ちゃんがハイハイに移行するとき、見事に股関節がグリンと回転していた。あこがれのロールオーバーである。
全然書き出しと結びつかないのだが、
三木先生の授業での一つのテーマが「上陸」。進化の過程で、海から陸へ上がるというエポックがたいへんドラマチックに語られていた。それで38日の胎児の顔に、肺魚の面影を見たり。
一方、今私が引き込まれてるのが、多分、「立ち上がる」というドラマだ。
「胎児になってみよう!」は遠すぎて観念の遊びになってしまった。
「赤ちゃんになってみよう!」も現実は無理なんだけど、模倣はできそうだ。
こう書いてみると、なんとなく、身体が動かせそうな気が少ししてきた。
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