子供が小学1年生になった。
子供は確実に一つ上のステージというのか、立場が変わる。
こちらの時間使いもそれにつれて変わる。(もう、朝、送っていかなくてよい、とか)
そして、時代も変わる。
電子書籍が進化していって、自分の教室の意味も変わっていく。
(原発)震災で、自分の仕事の意味をもっと考えなきゃなと思った。まあ、実際は淡々と本のリフォームをしたり、作り方を教えたり、というのは変わらないのであるが。
そして、意外にまだまだ、求められている、と感じられる。
製本をはじめて以来、いっしょうけんめいキャッチーな作例を、と作ってきた。考えてみれば、それは予備校生だったころや、それ以前の何か美術系のことで生きて行こうと思った時からずっとだ。ともかく、作品がいかに目立つかということだったな〜と思う。
深く考えるまでもなく、いかに目立つか。(このごろは、それはもういいよ〜、と少しは思うようになった)
最近の自分の教室では何が求められているか。
このところ感じるのは、どうしたらカッターで紙をまっすぐ切れるのかとか、いわゆる「基礎」みたいなこと。自分で考えて自分できっちり作れる、ということのための。
先週はたまたま3レッスン続けて、カッターでのカットがいつも曲がっちゃうのを直したい、という要望があった。いままでもよく説明して来たつもりだったけど、自分のやり方の手の動きの形を説明しているにすぎなかったというのがちょっとした発見だった。形を教えすぎると、習ってる方はその形をまねしようとしすぎてしまい、なんでその形になったのか、ってところが伝わらない。
結果として、教える前よりも悪い結果がでたりする。
求められているものをよーく見ないとな、と思いました。
カッターの切り方はひとりひとり癖があるので、よくそれを見た上で、指摘し、
「いままでこういう感じの切り方はしたことがなかったな〜そこがポイントか〜、」
っていうようなことを味わってもらうのがよい。
ただ形を直してください、っていうのだと伝わらない。
7月にある大学の授業でも、作業全般の基礎を、という要望がある。
「教える」ということに関してはそこらへんを充実させよう。
自分でできるようになるには
「理詰め」で、左手にもっと力を入れて
定規を押さえるところは、もうちょっと前などと
具体的に言われる方がのみ込みやすい人と
すーっと切る というような 想像力が働く言い方の方がいいような
場合もある
(のかも)