2011年12月22日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
今週は年賀状を片付け、図録(2010年の教室展の図録です。間違いじゃなくて2010年です。来年売ります。二年越しの事後処理。)の完成形がようやく見えた。遅いながらも少しずつ進んでいる。
こんな感じ。
それから、11月頭に出ていた「手で作る本」の台湾版「書・本作 山崎曜的製本書」がようやく手元に送られてきた。
左が台湾版。いろいろ違うところがあって面白い。ネットの画像で見ていてはわからなかったが、まず判型。もとの本はB5変形(?)の220×150ミリ。台湾版は230×170。左右の比率が変わるので写真のレイアウトが苦しいところが何カ所か。
表紙はマットなppになっていて、写真と字がバーコ印刷でキラっと盛り上がってる。本文の紙も上質紙で写真は黄色がかぶって、少し沈んだ感じで、シンプル(簡素)な雰囲気を狙ってるのかな。多分。
見返しが水色から濃い黄色(特色で両面刷ってる!)に変わってるのも印象的。
全体的に、文化が変わるとこういうふうに読み替えるのか〜と(もしかしたら穿ちすぎ?)思った。
わからないのは、文字ページの刷り色が、ランダムにセピアになったり、スミになったりするところ。日本のマンガ誌が紙色も刷り色も変わるのと同じ?(あれはなんでなの?なんか前に理由を聞いた気がするけど忘れた)
読んでる本は、「聲」(川田順造著 筑摩書房)。ヒッポにも深くかかわられている藤村靖先生が、ローマンヤコブソンの翻訳をしてる本が参考文献にでてきたりする。
ヒッポで二十数カ国の言葉を聞いていると、本当にいろんな音がある。著者はアフリカのブルキナファソでフィールドワークをしてきた人。ヒッポにはスワヒリ語があるけど、ブルキナファソの「モシ語」は違う系統の言葉らしい。ものすごく豊な音の世界が人間の言葉にはあるらしいな〜と思うと、ヒッポで音をまねするのがますます興味深くなる。
同じ著者の「もう一つの日本への旅」(中央公論社)。この中には、ブルキナファソの種まきのようす(「折り畳みナイフ型」と著者が呼ぶ深い前屈。これは、骨盤おこしの中村先生が言ってる、「携帯電話を折り畳むように」というのと同じだ。)と、日本の田植えで、背骨を曲げてる写真が対比されてでてくる。この写真は前に中村先生に見せたが、また見たくなって図書館で再び借りてます。
太極拳の忘年会では、隣に座った気功のo先生にアルコールの危険さを解かれながらビールを飲んだ。酒は百薬の長、の長、は優れてるっていう意味じゃなくて、人間の歴史上一番はじめに薬と認められたもの、という意味だそう。長老、ってことね。人によってアルコールの処理能力がちがうけど、まあ一日20ccが適量だって。それも養命酒の濃度(20度位?)で。最近飲む量が減っている私は、「それで健康診断の数値がよくなったんだ〜!」と応じました。
目下の問題は、背骨痛。前述「日本の田植え」な背骨の曲げ方が関係あると思ってる。
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