4日から8日まで大船渡へ行っていた。
東京製本倶楽部の「おかえりプロジェクト」展のお手伝い。
弟が大船渡に住んでる。震災後まだ一度も尋ねてなくて、ちょうどいい機会だと思ったのだ。支援のボランティアや業者で、宿泊施設もいっぱいだということで、縁のある私が行くのは状況に適した事だった。で、弟宅(少しのひびだけだったそうだ)に4泊ステイさせてもらった。
弟はこちらで就職して、ここに住んで15年。いろいろな出会いにも恵まれてる(遊び(バンドとか釣りとかカエル観察とか・・・多趣味・・・)も仕事も)様子が、家に訪ねて来られる方や、町で会った方からも感じられて、兄の私としてもとても居心地よく感じられて、うれしかった。
前に行ったのは3〜4年前だと思うけど、その時やその前の時に見た場所に連れてってもらって、津波のすごい破壊力を見た。
瓦礫もずいぶん取りのけられたそうで、何も無い場所がひろがっている。特に陸前高田は。
陸前高田の駅。
前に迎えに来てもらった大船渡の駅。駅舎がなにもない。
それはそれとして、弟が言うには、仮設に入っている方達?、被災された方達?には義援金から支給があるそうだ。そしてその支給期間が何度も延長になっているとのこと。
多くの企業が規模を縮小してなんとか、やっていっている状況では、雇用可能な人数をふやすどころではなく、なかなか仕事がない状況。(瓦礫処理、土建屋以外は。今稼げるそちらに転職してしまう人も多いそうで、それらが終わった時、どうなるのだろう、と心配していた。)。そんななか義援金で食いつないでその日をしのぐ、という人も多く、一時期、大船渡のパチンコ屋が全国一位の売り上げになったこともあった、とのこと。現実はそういうものなんだな、と弟。(義援金の使い方に問題がある、とも)
そんなことになっているのも、底にあるのは、先が見えない、ということ。原発の問題だ。弟の会社は鶏肉を作ってるのだが、特に関西方面へは全然だめだという。
距離が離れてると、東北、というだけで、買い控えとなる。それもわかる。
ゆっくり、すこしずつ復活していくしかないんだろう。
おばちゃん達の中には、ひまになった時間を利用して手芸にうちこむ人も多いそうだ。
1軒だか2軒だかしかない手芸材料はものすごく繁盛しているそうだ。
弟の奥さんも失職して1ヶ月くらいは、ちくちくするのがもーう凄ーく楽しかったが、それをすぎたら外で働きたくて、毎日が日曜日はもうこりごり、とのこと。今はとりあえず役所の臨時雇用で一息ついている。
今回は、せっかく車で行くのだから、と講習のネタも積んで行ったので、弟と奥さんに身内講習。
前月にマローンおばさんの部屋でやった、ロングステッチの革ノート。
こういうものも、手芸とはまた少し毛色が変わって、もしうまく企画して売る事ができれば、復興に役に立つ?などと素人考えで思った。
おつかれさまでした。
おかえりプロジェクトのブログの方で
何度か、写真に写っていましたね、こちらで見ると
大成功のようでした、良かったです。
私の方は、いくつかの事情で行けなくなってしまいました。
おかえりプロジェクトは、たいへん盛況でした。14カ国から集まったアルバムはこの大船渡の会場で被災地の方々にプレゼントされました。最終的な集計を見てないのですが、400点弱の出品作品の3/4以上は受け取ってもらったのではないでしょうか?
企画運営をした、東京製本倶楽部のこの展示の運営委員さんたちは少ない人手で本当にがんばっていたと思います。あたまが下がります。