昨夜は、映画「ドキュメント灰野敬二」を妻と観にいった。
私の教室の生徒さんがこの映画の関係者で。
灰野さんのことはそれまで知らなくて、でもウェブで検索したり動画を観たりしたら、ああ、こんな感じ?ってイメージを持つ事ができた。それと、妻は大学の時、ジャズ研で、ごく身近な人が灰野さんといっしょに演奏したりってことがあったそうだ。で、よく知っていました。
で、映画は、灰野さんの生い立ちを織り交ぜつつ、今どういう風に、音楽やパフォーマンスを作ってるか、という映像が続くんだけど、私のような音楽全く素人の人にも、ノートに書いた文字を手がかりに音をひとつひとつ作っていくようすが、面白かった。多分、既存の音楽の枠から始めるのではない、枠じゃないところから始めるってことなんだろう。
感想は、共感して、元気になった、ってこと。
(安心して共感できる環境を与えられてる、ということもある。)
自分のことを考えてみても、枠に嵌められるのは、いや。(人間だれしもその傾向あると思う。)勉強って枠がいやだったから、美術の方向へ。
でも美術や音楽をやったりするのにも、学校へ行ったりするでしょ。とりあえず「共通言語」(美術だったらデッサンとか)みたいなものを習得して、試験にパスしなさい、と。言いたい事があれば、その後に、枠を理解した上で、いいなさい、と。
(私、受験に受かったってことは、我々の一人として認める機会を与えよう、と言われたことだけど、そのあと学校を出る前後、作家じゃないものは去れ的扱いを何回か受けて、へこんだ。別にいいじゃん。好きな事できないんなら、作家になんかなんなくて結構。作家なんてくそくらえ!って思うようになった・・・。その物差しで俺を測ったって無意味、と。このへん、ずーーっといい続けて、「しつこいな」と妻の苦笑を誘っていたな〜。あ〜あ。)
自分は大学のデザイン科出だけど、デザインもアートも居心地が悪くて、結局、製本っていう自分にとってのフロンティアに逃げて来た。製本には製本の決まりがあるけど、私は、製本っていうある種実用的でもある分野の中で、あんまり役にも立たないことをして、誰にもうるさく言われないところで、自分の小さなフロンティアを作った。せこいけどこの状況を愛してる。
な〜んかそ〜んなことを思い起こさせてくれる映画だった。
自分も、がんばろ〜。(今日は〜が多い。。。)
(灰野さんはこわもてだけど、かわいいところがあって、やっぱりアイドルだな、と思った。)
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