昨日は小学校の読み聞かせの打ち合わせで学校へ。
そのなかで、夏に読み聞かせの講義(尾野三千代先生という方の)を受けたお母さん達が「先生のお話に感動した〜」と報告をしてくれる。
なんのための読み聞かせ?それはこどもに本を好きにさせるため。こどもに、自分でも一人で読んでみよう、という気にさせるため。本の世界に入れるということは、例えば、いじめられて孤独になった時に、本に向って問いかけたり、ヒントを得たり、共感したりして、自分を考えることができること。そういうものとして本を使えるこどもになってほしくて読み聞かせをする、みたいな話もあったようだ。
読み聞かせる時、そんなこと考えてなかった。ただ、自分が楽しいものを、子供達にも楽しんでほしい、というだけだな。
でも、その報告を聞いて、思い出してしまった。自分の小学生の時のこと。私は重症に本好きだった。「重症に」なんて書くのは、それがそんなにいいこと、とは、今の自分には思えないからだ。本を読んでるより、外で友達と遊んだら!って思う面もあるから。(なんていうと、友達と遊ばないで本ばっかり読んでる、という印象だけど、毎休み時間すもうしたりドッジボールしたりしていたから、表向きはそうでもないんだけど、内側にある消極的な感じが嫌だなと思うのが、本と関係がある感じがして・・・・・)
それでも、読み聞かせを、お母さん達の中のひとりだけのお父さんとして、学校までやりに行ってしまうのは、やっぱり本に何かを感じてるからなのかもしれない。
来月何読もうかな。(ちなみに、1学期は、「プーのゾゾがり」と「にんげんになったニクマンジュウ」を読んだ。)
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