11月2日の「走る人」4日の「高尾山」から、完全に何かのスイッチが入った状態。「普段の移動に走りを使う」というナイスアイデアを実行中。どこへ行くのも走ってます。用事がなくても走っちゃってる。土曜は教室終わったあと、荻窪往復してみた。雨の後だったので、防水の地下足袋で。単にどのくらいの感じで走れるのかな、という興味。時間的には1時間15分くらい、距離は11キロくらいかな。日曜は、「書築」という展示を代官山で見たのだが、行きは電車、帰りは走ってみた。これはワラーチで。1時間ちょっとだった。このくらいの距離(8キロ少し)だと、歩き+電車で行くのと時間的に大して変わらないから、楽しい上に電車賃得した感もある。先週は足が少し痛いというのがあったが、ここら辺がいけないのかな、と少し修正したら、痛みがなくなって、今は快適。(左足がやっぱり弱いな、という感覚はあるが。)
Facebookの友人から紹介された『Born to run 走るために生まれた』も図書館で借りて読んでる。ウルトラマラソンな人たちのクレイジーな話は私にとってはわりにどうでもよくて、人間の進化のところにぐっと引きつけられる。なんで人間は体毛がこんなに薄いのか、汗のかき方が特殊、動物の中で人間だけが、呼吸が足や身体の動きから自由、とか、そんな話を「おおっ!」って思いながら読んでる。
まあ、それはともかく、地下足袋とかワラーチとかで、普段着のままで、買い物の時走るのは、周りの目を気にしなければとても快適。(この人、なんでいつも急いでどこへ行くんだろう、とか思われてる?)荷物の持ち方が目下の課題。天秤棒とか飛脚の持ってる棒とかなんかそんなことを知りたい。
そして身体だけじゃなく、「気分」が変わった気がする。まあ、盛り上がってる今の気分だけかもしれないが、家族にいろいろ苦情みたいの言われても受け止めることができるようになってきた、というか余裕があるように変化してきたなってきた気がする。
走るのはもともと好きではあったのだが、陸上やったりするという感じではなかった。それでも中高生の頃は、学校の1500メートル走では、陸上部の次にはゴールしてたし、予備校の運動会では賞品もらったりしてた。太極拳を始める前までは、ジョギングが一応趣味だった。三十代半ばで、花粉症がひどくなってジョギングやめて太極拳にしてから忘れてたけど、自分の中には、駆けたい、という気持ちが眠っていたんだな。
さて、骨盤起こし(=構造動作トレーニング)もなぜやってるのか今ひとつわからず、いつも先生に「なんのためにやってるの?」と問われて答えに詰まっていたけど、一つ大きな目的ができた。骨盤立位ないし前傾になったら、ものすごく走りが楽なのではないか、ということだ。腹圧をかけたらすごく前に進むって感じが、とらえられるようになってきた。開脚の時に股の内側でつっぱって止めてる筋肉(解剖の本を見ると、多分、長内転筋とか薄筋とかそういう筋肉なのかな?それとも恥骨筋?)。股割のとき「それよりも上に」乗り上げるようにしていけばいいはずだ、という感覚がある。まあ、そんな容易くはないだろうけど、おおいにエンジョイできそうな予感がある。
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