先週、月曜日は三重県からいつもいらしていただいている生徒さんに案内していただき、
名古屋活版地金製錬所に伺う。
社長の鈴木宗夫さんにお話をうかがった。
もともとは活字に使う地金を扱っていた会社。和文タイプライターの活字で日本一のシェアをもったり、つぎつぎと廃業していく活字会社の活字を引き受けて活字を扱うようになったり、活版印刷をやった時期もあった。私は箔押しに使う欧文の活字がこちらに移り、それをお願いしての縁。
何もない元の元から仕事を作ってきた人だけあって、活字のことがわかっているその分かり方が根本的。すなわち金属というものについての理解からになる。「物理化学がわからないと、だめ」とおっしゃる。論理的にものごとを理解していないと、問題が起きた時にも、対処方法がわからない。いろいろな活字屋さんにまつわるエピソードが次々と飛び出す。あるメーカーの電胎母型?電胎活字?がうまくいかなかったのはなぜか?それは自然な状態での電気分解による銅の電着ではなく、整流器をかけての電着なので、そうすると、活字の字面でなく谷の部分の電着具合が粗くなってしまう。出来上がりを見てもわからないが、すぐに割れが生じ使い物にならない。しかし整流器をかけると銅の状態がどうなるか、という物理がわかっていないから、対処がわからなく、電胎をやめて彫刻にする、とかの手になってしまった、など。(書いてる私がよくわかっていないで書いてるのでちゃんとした説明になってなくて、だめですが。。。。)
そういったことからはじまって、「鉛中毒ってみんな言うけど、活字関連の人々が中毒で身体を害したって聞いた事が無い。あれは嘘です。」とか、そこから発展して金属は、酸化された形で生き物の命を脅かさないように地中に保たれている。人間はそれを取り出して還元していろいろなものを作る。その後始末とは、再び酸化して、無害な形にして、地中にもどすことだろう。と。原子力も同様の対処をするしかないと。ウランも地中から取り出したものを精錬?して、燃料になるように作っている。使ったら、後始末まで考えないと、という。
そう。物理化学がわかってないとだめ、なんだが、もっと基本は、人間の自然に対するありかたが共存であるということ。自分だけが(=人間だけが)よければよい、というのが非常にまずい。近頃の人間は他の生き物に迷惑をかけた上に、自分をも滅ぼしてしまいそうではないか。経済を最優先しなければ死活問題と考えられている今、悪循環から逃れるにはどうしたらいいのか?
そう、お金の話もあった。(それは金属の話ではなく、マネーの話。)私はお金のことがとても苦手なので、というかできれば避けたいと思ってしまっていて、これがわからないと人間も世界もわからない、と思いながら、苦手意識で理解が阻害されてしまっている。世界はお金で動いてしまっている。戦争も原子力発電も差別も格差も。お金について、あいまいなイメージしかもっていない自分としては、感覚的に戦争や原子力や差別に反対する。が、そのことについて具体的にどうするか、は、理屈がわからないと、変なことをしてしまいそうだし、第一まったく自信がない。(昨今の金利が低いのはなぜ?国債にお金が流れるように政府がしたいからです、と鈴木さんから言われてきょとんとしている私は情けない。行間がよめないどころか。。。)
さて、工場には活字の鋳造機がずらりと並んでいる。機械はすべて使いこなせるし、手入れもできるという。ご自分でできて、見通せてる感じが、すばらしかった。活字の合金を230度で溶かして、スムーズに活字が鋳造されていく。いわゆる「ゲタ」の部分がきれいにけずり落とされて、できた活字が気持ちよく並んでいく。ベントン彫刻機も3台並んでいた。プレートも沢山あって、ベントンの動きを説明してもらう。概念的には知っていたが、この部分の精度が必要なんだ、というのは聞いてみないとわからない。それからベントンのニードルを研ぐ機械。
しかし、「すべては過去の産物というか、もう廃業」とおっしゃるのをまわりの活字が必要な人達が「なんとかもう少しやってください」というお願いにほだされて、踏みとどまっている。
私のような教室業は、ほんの少量の活字しか使わないし、いつもこういった業種の方々にお世話になるばっかり。(宿主の役に立たない寄生虫という感じ。)
延々と話を聞いても、もっと聞きたい感じ。あっという間に時間がすぎさった。(本を書いてほしいです、本当に。)
そのあと、「紙の温度」をちらっとのぞいて(本当に沢山の種類の紙、紙、紙。)
行きとちがって、新幹線であっというまに帰京。(そして、自分のホームページの撮影の準備。)
山崎先生、大変、ご無沙汰しております。
5年前、一度スポット受講させていただた名古屋の佐治です。
今もあの時に先生に教えていただいて作った本を作品展などに出しだり、先生の本を参考に、フランスでワークショップをさせていただいたりしています。
名古屋にいらしたんですね。しかも、高速バスで!
私は現在、美篶堂が始めた横浜の学校に高速バスで通っています。
そのたびに、先生の教室に行った日のことを思い出しています。
あの時も高速バスでした。その日のことを書いた本も作りましたよ。
紙の温度は2年前にギャラリーで個展をさせていただきました。
和紙に印刷した写真展でした。
また、いつか先生にお会いできる日を、そして、あの時教えていただいた本の完成品を見ていただける日を楽しみにしています。
佐治さま、書き込みありがとうございます。ご無沙汰しております。ご活躍なによりです。
ブーツの形の和紙のライトの作品の方ですね。美篶堂の教室は「いのちの木」でのものですか?以前私も少しだけかかわって、講習したことがあります。
それにしても、一度でも会いに行って、何かを習ったりするのは大事ですね。私のところにも沢山の方に来ていただき、それがご縁となって、広がってる感じがします。
この夏はアメリカに行くのですが、本作りをしてる方に何人か会えればいいな、と思ってます。佐治さまにも、またお目にかかれるのを楽しみにしてます。