2014年9月 8日|製本と教室|個別ページ| コメント(0)
初アメリカはまずミネアポリスへ。Sheila Asatoさんのお宅で7泊させていただいた。 去年日本で会った時、水彩の抽象的な蛇腹折のブックアートの作品などを見せてもらったり、ホームページをチラ見して、いろいろなことをしている人だな、という印象だった。
少なくとも5つの仕事をしている。病院関係のギャラリーのアーティストを選ぶコーディネーター、ブックアーティストとしてのワークショップなど、ドリームセラピストの仕事、異文化へ適応するためのトレーニング(外国人がアメリカに来る、アメリカ人が外国へ行く、両方の場合)を某大企業で、そして主婦。 息子さんも夏休みだし、今週は仕事を夏休みにしてる、と言ってくれ、7泊を一緒に過ごしてもらって、背景がすこし理解できた気がする。どうして夢(夢を使うヒーリングなど)を研究するようになったのか、なぜ絵画からブックアートに興味が移っていったのか、異文化への興味、弱者への慈しみ、などなど。彼女の中では一つの繋がったこと。夢を使った心理療法とブックアートを結びつけた本を著述するのが今の目標、と言っていた。今はまだ子育てが大変だけれど(彼女の下の息子さんは自閉症。彼の存在が彼女の今のあり方を作っている。)それに一区切りつけられたら、その仕事をするのではないかと思う。
ブックアートというくくりは、「本」を媒体としているということで外見わかりやすい。けれどもその内実、なぜ「本」を選んで表現するのか、ということについては、作家によって千差万別だろう。 夢はそれ自体に意図はなくストーリーがあるようでいてつかみ所がない、しかしどこかに焦点を合わせる事で何かが発見できる。どこかのページを開くことで、何か隠されたものが見つかる。水彩で意図なくできた模様の中に何かを見つけ出し、作品としていく。これらは似ている作業。無意識の中から何かをつかみ出し、それを使う。
しゃべっているうちに「言葉は一見理解を深めるようでいて、実際は事態をややこしくする、よくはしない」という発言があり、それはお互いの共通点と感じた。本は、言葉でできてる。言葉を伝えるために存在する。そこに興味をいだいたはずだったのに、それとは違う本のキャラクターに興味が移っている。
極力、英語をしゃべるようにしていた。折角だし。3日目くらいに、なんだかそれまでよりも彼女の言ってることがわからなくなった。なんかぼーっとしてると、彼女がにやりとして「いつそうなるか、待ってた。やっとなったね。」と日本語で。別の言葉のところに行くと頭がフル回転で対応するんだけど、しばらくそうしてると疲労が頂点に達してそうなる、と彼女は言う。彼女は日本語と英語のバイリンガル。ヒッポのことを話すと懐疑的だった。二つの言語の中で育つ子供はアイデンティティの形成が難しい、など彼女の経験から。バイリンガルとトリリンガル以上はとても違うこと、というヒッポの榊原さんの見解に一致してるな、と思った。
ダンス(3回も。サルサ、フォックストロットなどなど)やヨガ、マッサージ(これは時差ぼけにいいってことで)につれてってもらった。これらはすべて初体験。いろいろな場所に連れて行ってもらい、美術館、食べ物、街など、見せてもらい、本当にお世話になりました。感謝。これらは一つ一ついくらでもしゃべりたいことがあるのだが、一つ印象に残ったことを。 それは「ラビリンス」のこと。教会の裏にそれはある。一見迷路のようだが、道は一本道で、たどっていくと真ん中に着く。真ん中には椅子があり座ってもいい。来た道をもどって出る。それがとてもリフレッシュするのに効果がある、という。やってみると、確かにな、と思う。(趣味のジョギングで例えば渋谷から帰宅する時など、神社を見つけると時間がある時は、とりあえず手を清めて柏手してお賽銭して、ってするのだが、その気分と似ていた。)面白い行動だな、と思った。
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