一年を振り返って、どんなことがあったのかな、と思い起こすと、一昨年の12月のコンサート+個展から、ばたばたと一月になり、
2月ドーモアラベスカで去年のアメリカ報告、
6月香港で展示参加、講習、
7月アメリカで講習、
8月半ばは「かーめんナイト」(後述)でヒッポで自分をかたらせてもらい、
12月個展。
前後してオンラインでのファシリテーション・コーチング講座。
スギオカカズキさんからコンサルティング、というのも今年の試み。
まとめると、ともかく、表現するっていうのがどういうことなのか、そのことによって自分は何なのかを、説明する必要に迫られて、それを繰り返し、何か少し進化したような気分がある。
「かーめんナイト」についてはブログを書こうと思いながらまとめきれず。ヒッポメンバーの、ぐら(ヒッポネーム。ヒッポメンバーは立場や年齢などを考えずに対等に誰とでも付き合うっていうためにみんながあだ名で呼び合います。)が自主企画してくれた、ヒッポメンバーのイベント。「かーめん」は私のヒッポネーム。私がなぜヒッポLOVEなのかを自分の仕事にからめて話させてもらった。今、その時の振り返りを読むと「自分がアーティストだと思うのは「自分で発見する」という喜びのみを原動力に生きてる、という偏った人だから」って書いるのが目にとまった。
企画者の、ぐら、そして、のりちゃんとは、イベント前、3ヶ月くらいに渡ってLINEでやりとり。ものすごく丁寧なコーチングを受けているに等しかった。自分って何者なのか、自分は何をしてるのか、何をしたいのか、を常に意識してすごした。
コンサルタントのスギオカさんとの二月に一度のセッションでは、自分がずいぶんと特殊な少ないタイプであるらしい、と自覚することができた。そして、そのことで拗ねるのでなく、それとは逆の効果があった。少数者の感覚は多くの人には通じないものだから、もっと言葉で自分を言ってみよう、とかを試みるようになった。感覚をわかってもらうというのはおそらくほぼ無理。だから感覚的なことばを駆使して、アナロジーとして感じ取ってもらおう、っていうのが私の言葉のタイプのような気がする。(ことしは、性的少数者のことが話題になったりしたが、教室で教えていると、ものの理解の仕方とか恐ろしく多様だと感じる。現在の普通の社会だとそれが問題になることはないけれど。だから学校で習っていることでそのように感じることはなかったけど、ものづくりという外からは把握しがたいことだと多分みんなものすごく違うルートで思考や試行してる感じがする。)
そして年末になってのファシリテーション・コーチング講座。オンラインで、とても共感できる仲間ができた。それは、世界は広くとも「手作り製本」ということですぐに親しくなれるというのと似ている。一方で、そこでも自分は全く異分子であるとも感じていて、それが心地よい。違っていることを認めてもらえる場だから。オンラインで繋がることの可能性はものすごく感じるが、自分はあくまでも触覚や直接感じられる感覚からものというこれまた実物でしかないもので表現をするタイプ。そこで安心してオンラインでも繋がっていられると感じている。
そんなこんなした、今年。現在、家族の雰囲気が良くなったと感じている。
なんだろう?自分も変化したけれど、家族の気配が変化した。私が失敗してつい妻の気分を害してしまっても、彼女の反応が前と違って、なし、あるいは薄く、なっている。それにつれて私の反応も弱くあるいは薄くできている。お互い、話を聞いてくれるという感覚もでてきてる感じがする。
社会情勢はひどくなる一方かもしれない。原発も、テロも。
でもぼくは「言葉で踊る」のはやめた。政治を語れない。信じるのは自分の感じてることだけ。かすかなけはいにみみをすます感じを失わないようにする。そうやって「もの」と「言葉」のセットで表現する。
一見とじて、こもってるように見えたとしても、微生物や寄生虫のようにまわりの環境を、感覚のとどくかぎりのけはいを感じ取って、うまく生きよう。
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