2015年12月 4日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
きのう、いやもう一昨日になってしまったが、個展、無事はじまりました。
今回は、主にノートを挟むようなものを作っています。
とりあえず、今回のタイトル「けはいのしくみ」について、考えたことを展示の冒頭に貼っています。
それを下記に転記します。
今はすごく気づきの連続。搬入が月曜に終わって、帰宅して、ヒッポのファミリー行って、から作品の説明をまとめようとしたんですが、意外と時間がかかり、結局完徹。気が張ってるせいか翌日の初日、全然眠くなりませんでした。このところ体に任せる感じにしています。「もう寝なきゃな」って思っても体が全然そうじゃなければやってもらっちゃう。
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今回のタイトル「けはいのしくみ」について
手工製本を続けてきて、ぼくが何を面白がるのか、だんだんにはっきりわかってきた気がしてるのです。それが、しくみ、です。
意外と、ぼくは、本についてはドライな感覚です。知らない考え方を知るのはすごく楽しいので、本は多少読みますが、電子書籍、やっぱ便利って思いますし、持っていたい本てそんなにないです。それに権威っていうのがきらいなので、本がお宝化するのに力を貸してるようなことがあまり好きでないです。(一方でまさにそういうことをやっているかもしれないけど。)
で、本が好きなのは、そのしくみがとてもよくできてるからです。そこに魅せられているのです。 そして、本の周辺のものまでも範囲を拡大して作ってみると、開いたり閉じたりできて、持ち運びできて、姿が変化して、というような、しくみを持ってるもの全般に自分は面白いと感じるのです。
折りたたみ傘とか。
工学系のスキルがあるわけではないので、やれることってかなり限定されるのですが、それでも「製本」は工学系とはちがうけれどもやはりしくみです。そういうところから敷衍していって、段ボールキューブが生まれたり、かげびょうしが生まれたりしました。
段ボールキューブはバイアスに取った段ボールをおもてうら交互に切り込みを入れ、折りたたむと立方体になる、というもの。
かげびょうし、は、アルミパンチングボードの透け感を活かして、その両面に別柄の革のすかし彫りを貼ったもので、置く角度や光の入り方で、見え方が変化します。
「しくみ」は普通は「機能」に完全に奉仕するためのものなんだけど、しくみそのものに美しさとか「詩」みたいなものを感じてしまうぼくとしては、そんな気持ちをストレートに表現できないかなと思ったのではないかと思います。
石や岩を全く人工的な形にならべて「枯山水」と言ってしまうようなごっこ遊び感覚。ある種の「けはい」を作りたいがためにつくる「しくみ」。
今回の展示のメインは、ノートや本を挟むためのもの、です。しかし、一応それを装ってはいますが、多分、機能的でも、便利でも、ないです。かといってなんの機能もないわけではないどころか、磁石を仕込んだフラップのシンプルな開閉具合にこだわってもいます。
ここが、アートにも、工芸にも、プロダクトにも、似ているところがあるけど、どれでもない、「けはいのしくみ」があるわけです。 ゆきみ障子、とか、れんじ格子、とか、しとみ戸、とか、名前を聞いただけで、なんか胸がきゅんとなります。風景が浮かんできて。
ぼくのつくりたいのは、そんなようなものからさらに機能を弱めて、しくみだけ、けはいだけを取り出そうとしたものかもしれないです。(くわえて、「胸がきゅんとした」ことばをしくみにからめたいです。)
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