7月26日〜30日の第一タームと8月1日から4日の第二タームがあり、第二タームの方に小6息子と参加しました。第二タームは200人越えの参加。ヒッポメンバーの人が多いが、海外からの参加も。中国からの20数名が一番多く、ほか韓国、台湾、パキスタン、ドイツ、かな。
合宿の主旨は、強いて書くとすれば、多言語習得活動を通じて(海外の人も含む)参加者同士、そしてお世話してくださる地元の人達とも、仲良くなろう!ということだ。
数年前にはじまった「多言語雪の学校」という飯山という豪雪地帯を生かしたイベントの夏バージョン。去年が第一回で、私は今回が初参加。
ともかく、ヒッポのイベントは用意されたものでなく、事前から参加者自らが作っていく、ということが、すごく大切にされている。
思いついたやりたいことを、みんなを巻き込んでやってみよう、ということ。
3泊4日の合宿、具体的にはこんなことをした。
* 普段からのヒッポ活動(多言語で歌ったり踊ったりゲームしたり)
* 斑尾ならではの、山や沢登りなどの野外活動
* 地元の方の物作りワークショップや、参加者によるやりたいこと自主企画
* アーティストの二名良日さんと行う、巨大リース作りとキャンプファイヤ
* グループ活動
これらのことをつうじて
私が印象に残っているのは、後の3つ。それについて以下に書いてみた。
(野外活動の写真が全然ないのがすみません。そう、本当は野外活動がメインと言ってもいいのです。私のiphoneがぼろぼろなのと、そもそも自分が全然写真を撮ろうという意思が少なく。。。写真をアップするということにとても抵抗があるんです。写ってる人それぞれの人に全部OKをもらうのは大変だな〜とか、かと言って顔を消すとかも不自然ぽくて気がすすまない、とか様々な要因で、写真が苦手。それと地元の方のブースは、藁細工で亀を作ったり、白樺の枝で動物を作ったりととても魅力的だったのだが、自分のことでいっぱいいっぱいで全然レポートできない。。というわけで、このブログは自分のことの一部を書いただけで、全体像を全く表現できていないので悪しからず。)
今回は、せっかく参加するのだから、キャンパミーゴスという、ボランティア的にリーダーとなるお役目をやってみることにした。現場でイベントを仕切ったりタイムテーブルを検討したり参加者に伝えたりを、スタッフと一緒に行う。
私は、ヒッポ活動をとてもいいと思っている。自分のものづくりを関連づけたいという欲望が常々ある。なぜならば、できるかぎり先入観で判断せずに、実物や現場に飛び込んで、相手(人にしろ、生き物にしろ、ものにしろ)を素直に受け止めて、でてくるものを素直に表現する、というところに共通する感覚を感じるからだ。
どう関連づけるのかについては、まだ全然グッドアイデアはないのだが、とりあえず今回、自主企画のブースでノート作りをやってみた。まず新聞紙で三つ目綴じという一番簡単かつ合理的な綴じをやって、それの応用の綴じでノートを作る。最初は新聞紙のノートを作って、そこらへんで気に入った葉っぱを集めて挟み、プレスに入れて押葉を作る。プレス(キハラの「手機械(てぎかい)」)を持っていくことで、「製本感」をアピールしてみた。)半日の時間で、途中からは雨も降ってしまい、野外活動の裏番組的なものでもあるので、それほどの人数ではなかったけど、中国からの人数人や、小さな子供達やその親の人たちに一番基本の綴じを体験してもらい、楽しんでもらえた実感はあった。
これはノート作りをやってもらってるとこ。
そして、大きいのは二名良日さんの存在。野外冒険アーティストとでも言ったらよいのか、一言では言えない感じの方。二名さんリードにより、巨大リース("夏越しの祓え"を思い出した)をみんなで作ったり、大人数での綱引きのような火おこしイベントでキャンプファイヤの火を作ったりが、とても面白かった。
グループの活動は泊まっているペンションごとに行う。私の泊まったペンション「ピュア」では、私が本作りを本業としてることもあって、模造紙にいろいろな葉っぱなどを貼って、このキャンプの感想なんかも書き込んで、大きな本を作る、ということになった。採集1時間、貼り込み書き込み1時間というとても限られた時間だったけど、3〜4人一組で計6枚の模造紙の画面ができあがった。みんなが葉っぱをこんなに楽しんで集めるのも意外だったし、小さい子供たちがさっと集中して何事かを紙に貼ったり書いたりするのにも驚いた。形(あるいは構造)を作るばかりで内容には踏み込まない普段の私のワークショップなのだが、環境に応じて素直に変化してみて、次につながる可能性を感じた。
みんなが貼って書いて作った模造紙の画面。
うちのグループには中国からの大学生二人とアメリカと日本のハーフのドイツに住む高校生が居たのだけれど、その子たちとやりとりしていくのも面白かった。それぞれに日本語や英語がどのくらいできるかは随分違う。また、中国語が普通に話せるメンバーもいる。こういう常にイレギュラーな場でどうしていくか、というのがいつもヒッポメンバーに求められること。(できることをして遊んで仲良くなる、わけだが。)一年弱の留学をしてくるヒッポの高校生たちは「自然習得」を体験してくる。それを見守って数日の受け入れや、数日の海外交流を体験するお母さんやお父さんメンバーはなかなか、そういうわけには行かないけれど、ともかく積極的に壁をつくらないように意識してかかわっていく。むしろ話し言葉ができる以前のコミュニケーション能力を呼び覚ます感じか。状況があって、何か声を発していれば、知らない言葉でも、意味は通じる、そんな確信をして活動していく。この「通じて当然」っていう感覚が大事。「通じて」いるうちにだんだん意味が掴めてくる。あー、去年、中国の小学生を受け入れたときに、通じないから困るな〜って思ってなかなかそうなれなかった。もちろん相手があることだから、向こうがその気になってないとなかなか難しいのではあるが。
多分、自分の知ってる言葉で、てらいなくガンガン音を発していくのが、いいやり方なんだろう。みんな「違う人」なんだから、意味が通じないのは当たり前だけど、一方で、やってほしいことなどは通じるのも当たり前。赤ちゃんが何を伝えたいのか、ちゃんと見てればわかるでしょ、って言ってるお母さんのような感じ。そういう言葉以前の音や体のうごきから始まっていく。その人に慣れたらだんだん言葉がわかっていく。
みんなが参加して作り上げる二名さんのアートが興味深かった。大人数の綱引きでの火おこしはなかなか楽しいイベントだった。火をおこすだけなら、小さな弓状の回転の仕組みを使って起こせるのではないか、と思う。(前にそれでも苦労したが。)それを、大きな棒と長い縄で多人数でやる。擦れる焦点は大きくなるし、多人数が息を合わせなきゃならないし、かえって難しいはずだ。その分、イベント感はかなり盛り上がる。
そして巨大リース作り。両方とも、一種のお祭り。みんなが参加して作り上げる、ということ以外には多分あまり意味はない。
私も、ペンション単位のグループ活動に何をするか決めるときに「人生に意味はない、けど、楽しんで、よく生きたい」ってもっともらしく言い放ってみた。
私は、ついつい「作品」を作る。「作品」を作ってしまう、アーティスト、だ。
二名さんを見ると、「作品」を作る人じゃない感じがする。で、今回グループのみんなに大きな本のページを書いてもらった自分も、ややそういう感じになった。保存性のない、生の葉っぱを適当なテープでペタペタ貼る。石を貼ってしまう人も居る。それがなんか自由で楽しい。
さて、私はどこに行くのかな?
多分は作品は作る。何かに結晶することが好き、やっぱり「もの」派だからね。でもそれ以外にも好きなもの?こと?がある感じがしてる。
帰り間際に、二名さんと二人で話すことができた。楽しかった。なんか認められてる感じがした。会話の中で「KJ法」の話が出た。なんだったっけ、と思いながら、二名さんの話を聞いていると、フィールドワークをして、見たこととか思いついたことをなんでもカードに書いて貼っていく、というような説明をしてくれた。ヒッポは記録が弱いね、というようなことも。そんなあたりで帰りのバスが来てしまった。
帰ってから、KJ法を検索して、今、川喜田二郎著「発想法 創造性開発のために」(中公新書)という本を読んでいる。1967年初版の本。半世紀前の人がこういうことを考えていて、こういう現場の中に二名さんも居たのだな、と想像しながら読む。二名さんからパッと聞いた印象よりもずっと厳密な学問の方法だ。そして、それは「チーム」で「現場」で研究をする、ということの方法。
私のやったり教えたりしている「製本」や「製本アート」は、私の指向性もあり、普段かなり個人プレイなものではあるが、グループワークへつながる脈もあると感じる。
そして、ついこの間、キャンプ時の仲間が何人かうちの工房に訪れてくれ「製本」の工程に入った。細長いボール紙に穴を開けて、それ一枚一枚の模造紙に取り付けてネジ止めしてみたのだ。ばらばらだった紙がこうしてまとまると、やっぱりいつものことながら、何かが変わる。
ドリルでボール紙の束に穴をあけ、それを一枚ずつ貼っていく。
あとは表紙をどうつけるか、だ。本文をふたつ折りにした状態で表紙をつけ、カバンのようにとってをつけて持ち歩けるようにしようかな〜
コメントする