8月11日、12日、と兵庫県の佐用町で行われたイベントに参加した。近大付属高校の江藤由布先生とその仲間達、そして江藤先生の生徒のみなさんが、企画運営した、新しい学びの試みイベントだ。
私は学校行ったら早く帰りたくなる(学生のときも、たま〜に教える今も)のだが、去年、田原真人さんを知り、その周りに広がっている層の厚い反転授業グループの何人かと知り合い、先生方が多いにもかかわらず、なんだか共感するところが少なくなく、こうしてイベントにも参加してみた。
zoomというアプリを使ったオンライン講座で顔を合わせた方々に(とくに関西や九州など西の人に)直に会ってみたかったのもある。また、誰しもそういう面はあると思うが、あまりに自分と近い分野の人と一緒にいるのはなんだか苦しくなるのだ。興味はすごくあるけどちょっと異分野という距離感が私は好きだ。(社会人が、資格を取るとか関係なく、なにかの講座とか受けてみるのはこういうことだよね。)
姫路から車で1時間くらい、という行きにくい場所なので、大阪からや、姫路から貸切のバスをセットしてくれたり、オーガニックな食事を提供してくれたり、ともかく、全て高校生達と江藤先生はじめスタッフの人達、佐用の町の人達の手作りでできていて、本当に大変だったろうな、と感じる、あたたかい気持ちのかよったイベントだった。
江藤先生は、オーガニックラーニング、ということを提唱されている。本人自身が持っている育つ力を丁寧に支援して引き出していく学び、という感じだろうか。それだけに、佐用という場所との出会いから、このイベントが実現する流れなど全部、種から育った生き物、という感じがした。(そしてもちろん、私がそこを訪れる、といことも、その流れの中に含まれている!50過ぎてもまだ、これからどう育つのかはわかっていない私。)
授業自体は、1日目午後、2日目午前午後と、3つの時間帯に、3つずつ、計9つのプログラムが用意されていて、参加者は各時間帯一つ、計3つの受講ができるようになっていた。
最初は、サイレントラーニングと銘打った、雨宮優先生のプログラム。少し前にテレビでちらりとみた、ヘッドホンを使って騒音を出さずにどこでも音楽イベントができるサイレントディスコ、っていうものを使った授業。ヘッドホンを使うため限定20人だったがぎりぎり間に合っって20人目の受講者に。言葉を使わないでコミュニケートする練習とか、目をつぶって手をあげてくるくるまわって、背中が誰かと合ったら座る(これが吸着するような感覚で、この不思議感が全部の授業の中で一番印象に残った)とか。最後はサイレントディスコそのもので30分間、動きまくった(踊りまくった、そして四つん這いで走った。でも少し照れたまま。)自分が動くのは、単純に楽しかった。そして他の人達については、こいつはすごく動いて楽しそうだな、とか、高校生は意外に固まって動きが悪いな(なんかわかるわ〜うんうん)とか、寝っ転がっちゃう人もいるのね、とかいろいろ。
そのあと、地元の有機栽培の野菜を使ったカレーやごはん、お漬け物、胡瓜やお味噌など頂きながら、ゆんたく(沖縄方言でおしゃべりのことをこういうそうだ)。おいしい、たのしー、ゆるむなー、
そして、キャンプファイヤ。高校生達が女子も男子も生き生きして、話がしっかりしてて話して楽しい。流星も少し見えたりして、いいかんじ。(翌日がペルセウス座?流星群の最出日)
二日目午前は、福島毅先生の、コネクション・プラクティス。新しい言葉が新鮮。コヒーランスという言葉、聞いたことはあったけど、そういう意味?とか。自分が今何をするのがいいのかを直感を使って判断するのだが、それを導くのをメソッド化してみる試み。私は普段、わりに直感で行動して、いいことを招いているので、方法を学ばなくてもいいかな、と思いながらも、人との関係を良くする方法なんかはすごく勉強になった感じがする。福島先生が、クロージングのとき話していた「自画自賛をお薦めする」というのもやってるし。
午後は、平野貴美枝先生の、質問作りのワークショップ。『たった一つを変えるだけ』という本で紹介されている、質問作りの練習ワークショップ。先生は「質問の焦点」というものをしめし、5〜6人のグループになった生徒達は質問をいくつでも作っていく。そしてそのあと、グループでその質問を絞り込み、質を高めていく。これはアメリカで、貧困層がそこから脱せないのはなぜかというと、それは適切な質問をすることに全く慣れていなくて、端的に言うと行政に何かを言うということができないからだ(大きく見ると、自分が生きていることと社会とかかわることに接点を見つけられない)という気づきから始まり、さまざまな改善を経て完成したプログラム。つまり、質問するということは、その内容に積極的に関わって生きるということ。よい質問は場を活性化し、各人の学びを深める。今回の「質問の焦点」(テーマというか、お題というか。これの説明が私はちゃんとできない。)は、「人間関係が疎にして密である時の生き心地はどうか」だったかな?なかなか難しいお題に、5人位のグループは頭をひねる。パイプ椅子に座って、エンタくん(円卓ん)というダンボールの大きな円のうえに同じサイズの紙を載せてそこに書記役が記録していく。 やり方がとても厳密に決められていて、守りきるのが割に難しい。例えば、質問だけをどんどん出して行く時には意見や感想を挟んではいけない。が、これを守ることで、みんなでルールあるゲームをしてる感じがたかまる。それはみんなに発言の機会を与え、支配的な人を作らない、平等さを保証するルール。
そのあと、クロージングで、もう別れていく。帰りは、バスで姫路まで送ってもらい、なんかもうちょっとだらだらするのがいいと思いながら、あっというまに新幹線で東京。もっともっと好き勝手にならねば、と思った。自分の感覚に蓋をしないのが大事。何を言っても大丈夫な場からそういう感覚は育ってくる。
ここで行われることに共通して私が受け止めたのは、自分に正直に、自分のしたいことは何かを感じ取って、進んでいこう、という大きなメッセージかな。
半分の授業しか受けていないので、全体のことは言えないが、私の受けたものについては、借り物感というのか、生っぽい感じが拭えないと、10日間位経って興奮がさめると思う。いや、借り物、というと言葉が悪い。海外の最新のものを紹介する授業、ということを感じた。いいものは取り入れて、数を重ねて問題点を抽出しながら、自分達の感覚にフィットするものに練っていくものなんだろう。でもまだ今の段階だと「方法」を教えられている感じがした。これは続けてやる授業ではなく、イベントでの体験授業であるから、そうなのである面もあるのだろう。そしてラーニングスプラッシュは回数を重ねて欲しいし、そうやって成長していくのだろう。(といいながら、学校ぎらい感覚がよみがえる。。。。私のようなタイプには学校ということはいやなことなのは変わらないのかもしれない。。。。だが、地方の大学に教えに行くのは楽しい近頃。)
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