2016年10月 9日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
先日、オンラインで「魂の脱植民地化とは何か」という本の読書会の2回目に参加した。著者である深尾葉子さんもいらっしゃって、今回のお題的なものが、ニホンオオカミの絶滅=異界の喪失、というようなことだった。私は、異界、という言葉を受け取った。(自分自身の「魂の脱植民地化」についてもすごく書きたいので、また別に書きます。書ききれないだろうけどね。)
わたし、小学生のとき燈火採集が大好きで、朝に、雨戸にびっしり付いた蛾は、私をとても幸せな気持ちにしてくれた。また、夜の闇は、少し青っぽくて墨の微粒子がぎっしり詰まって深くて、クダマキモドキ(って勝手に私が思っていた、キリギリスの仲間)の鳴き声が響いていて、闇の奥にはイノシシやらクマやら様々の夜の生き物の気配があったな。チッチゼミも鳴いていた。
これは祖父の軽井沢の別荘での話なんだけど、6年生の頃には、もはやぱらぱらとしか蛾が居ない状況になっていた。それが悲しかった。また、そのころになって、殺戮の限りを尽くして標本を作りまくっていた自分が、それでいいのか?と思うようになった。同時に、自分が死んでみんなから散り散りに離れて宇宙空間へ飛んで行ってしまう、というイメージが強く私にでてきていた。その恐怖から逃れるために、札幌オリンピック(注1)のテレビに夢中になろうとして、こたつに丸くなっていた自分を、今、思い出した。死、のことを思ったのは、ちょうどその頃、父方の祖父母が相次ぎ亡くなったためだろう。
おそらく、豊かな異界だった、燈火採集の夜は、そんな私の小学校高学年期の内に、見事に失われて行ったのだ。周りの林などにはそれほど大きな変化があったようには感じず、随分後になって考えたのは、ゴルフ場を作る?維持する?ための除草剤?か何かのせいではないか?ということ。勝手な空想だが。多くの人にとっては、不快な虫が減り、楽しくゴルフができれば万々歳なんじゃないだろうか?でも自分には、豊かな遊び場を奪われた悲しみ。マイノリティーの悲哀はこんなとこからも始まってる。
また今考えるとネオニコチノイドとかそういう農薬なのかもしれない、とも思った。
そして、こういうことを「書けないな」と思うのは、それがあってるかあってないか、科学的に証明されてないから、と思ってしまう。じゃあ、自分は何者?科学者じゃないから書けないの?データを集めて、集計して、こうだって証明しないと書けないの?
思ったことは書いちゃっていい。いや書かなきゃなんない、というのが、ようやくここ2日くらいに出た結論。
データはいくらでも恣意的に操作できる。細かく見ていけば、ここがインチキだ!と指摘できるかもしれないけど、そんなことに時間を費やすのに意味があるのか?もちろんあるだろうけど、それは私のやることじゃない。
自分のやることは何か?それは感じたことに敏感に反応して、表現することなんだな、と改めて思った。
ぶちのめされてもいいから。それをやらないと、自分が死ぬ。
(センサーの感度を下げて、誰からも殴られないように静かにしてる自分がいる。だけど、そんなふうにして死を待つのにどんだけ意味があんのかな?勇気を出して、センサーの感度をあげよう。誰かの都合に左右されないように。どうせ誰の仲間でもない自分なんだから。)
科学(注2)は知らないけど、
小学校1、2年の時、雨戸をべったりと埋め尽くして私を幸せにしてくれた蛾やほかの虫たちが、小6の時はぱらぱらになっていて、寂しかった。
これが私にとっての事実だ。
そう、そのことへの懐かしみの愛惜の表現として、このウェブサイトの一番初めに載せたこの本(注3)
を作ったんだな、って、つい昨日かおととい、思いついた。お尻の穴から始まって、顔の口で終わる本。中身は夜の闇の中へ遊びに行って、どんぐりを拾って、お母さんに怒られる、という話。(随分昔に、自分の表現の基本は「悲哀」だなってなんとなく思ったことがあったな。「愛惜」。あったものがなくなってそれが悲しい、と。それは潜在化していたけど、またその次に何か出るのかな。)
原子力(注4)というものが、異界?
解き放たれてしまった自然の摂理の力?なんか内田樹さんがそんなことを書いていたような。
制御不能なものを無くして自分たちを安全には保ちながらやってきたつもりな末に、恐るべき制御不能なものを地の底から取り出してしまい、魔の力を解き放ってしまった。
地の底から、禁じられていた、金属を取り出すという行為。原子力へと行き着く。
この異界とどう付き合うかが今の課題なんだね。
冶金を学んで、活字屋さんをやって、先日廃業した、名古屋活版活字精錬所の鈴木宗夫さんにお話を伺った時。
地の底にあったものは、地の底に返さなくちゃいけない、とおっしゃっていた。
鉛は普通に触るのには毒じゃないとも。(これは、金属を知っている人には常識だけれども、世間では間違った常識が流布してしまってるとおっしゃっていた。)鉛というものが、グーテンベルクの活字を作り、それが情報の流布の爆発的拡大を起こし、ということを思うとなんか象徴的にいろいろ言えそうだ。一方、日本ではその時代、整版っていう木版をすごい技術で彫って本を作って、その文化が栄えていたわけだからね。
(自分は、西洋の製本技法を学んだけど、それが好きでないのは、こういうところにも要素があるんだよな。)
イメージの断片をいろんな人たちがくれた。
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注1
そうなの。オリンピックってそういうためのものなんだよね。それを見ていたら、何かを忘れることができる。しかもみんながそれをやってるから、言い訳をしなくていいし。日曜日は仕事してなくても誰も文句言わないでしょ、って感じ。(日曜日とか土曜日とか、あれもキリスト教から来たもんだよね。多分、明治の時に、時間決めて働かされるようになったと同時に。私、日曜に休まなくていい。みんなと揃うのいや。)
注2
自分が科学者にならなかったのはなんでか?僕は証明したいんじゃない。ただ感じたいだけなんだ。科学は僕の動きを制限してくる。その制限、つまり時代の常識、から完全に逃れることはできない。それよりも感じたものに鋭敏になるように、科学を使いこなしていかなくちゃいけない。だから、科学の出してきた結論に対しても、自分センサーで判断する。強く自分を感動させてくれるなら、おおいにそのアイデアに乗っていくし、そうじゃなかったら無視。
私は、理屈で駆動されるのではなく、様々な現実からの入力をセンサーで瞬時に受け取って動くのだ。
注3
「どんぐり」。今、ウェブサイトの英語化を始めていて、ここから順繰りにやっていこうと思ってます。「英語」で自作を語り直すことによって、次へのルートが現れてくる、という確信がある。
注4
夏に弟の家(大船渡)に行った帰り。行きは東北自動車道で行ったが、帰りは常磐自動車道で帰った。何キロかおきにその場の放射線の強さの電光掲示があるのだが、持って行ったガイガーカウンターがピーピー鳴って、それが、ああ、本当なんだな・・・・と感じたのだった。
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