2016年12月 8日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
このところ運動不足だった。寒さのせい、手指を剥離骨折してしいろいろ面倒くさいのせい、そしてそれらからくる気分。
で、きのうは、ヒッポと友人の展示を走ってまわった。
予定は、家を出てから帰るまで全部で30キロというつもりだったが、いろいろ遅れて銀座から世田谷代田までは電車を使ったため、20キロちょっとということになった。
だが、おかげで今日は、元気。
頭にしろ体にしろ、ある程度つかわないと。で、そのある程度が、この程度はやらないとだめなんだな、と思った。(もうちょっと頭と手を使っていれば、こんなに足と体幹、心肺を使わなくてもいいはず、と思う。)
最初は、祐天寺付近の区立施設へ。パルケ デ ヒッポ、というネーミングの会。ヒッポメンバーの3人が自主企画で始めた会。今日のお題は『額田の王の暗号』 のなかの一章「私たちの方法」の輪読。
この部分には「ヒッポファミリークラブの目指す多言語活動の理念がわかりやすく書かれている」と、もらった抜粋の表紙に書かれていた。あー、そうだったんだーといまさらながら思う。
10人ちょっとが集まって、まずいつものように、ダンス(ヒッポ用語でいうと、サダ=SADA=sing along dance along)とメタ活(=Meta Language activity=多言語のCDを真似する)。
そして、輪読。
確かにこの1章にはいろいろなものが詰まっている。メンバーはいつもCDを聞き、ホームステイをしたりされたり、赤ちゃんの言葉や子供たちの言葉がどう変化するか、とか、自然と注意をはらっているので、このようなエッセンスのつまった文を読むと、あらたな気づきが出るわ出るわ。
ハングルの「ト」みたいな形は、日本語で言ったらア行みたいな音、「T」みたいな形はンっぽい音、とか、わかると次々読めて、読めるからといってわかるわけではなく、わかる時は、文字ひとつひとつからわかるんじゃなく、単語全体の形で入る、とか。
「サ」っていう音を途中で切って聞くと、「タ」とか「パ」とか聞こえる。それは、赤ちゃんが、最初「ぞうさん」って言えなくて「どうたん」って言うこと関係があるとか。(これは、Macもってきてたメンバーが実際にやってみてくれた。私もいまiphoneのアプリWave padでやってみた。今ってこういうことが、さっと自分でできるのが本当すごい。)
言語の種類によって使ってる口腔の位置や動きが違って、日本語はけっこう使ってない領域が広い、とか。
こういうマニアックなんだけど、とっても日常のことでもある会話が、
保育園前の2歳の子たち数人や、いろいろの年代のお母さんたち、そして私のようにあやしい存在のおじさんやおばさんたちで繰り広げられていて、それがとてもとても楽しい。(共感できて、でも違う視点がある人を、見たり聞いたり一緒に何かしたりするのが)
ともかく「言葉」って本当にいろいろな角度から考えることができて、興味がつきないな〜と思う。 ランチをしながら「来年の青少年交流でうちの子はいきたがないのよ、アメリカに」というような情報交換をし そこでみんなと別れて、私は銀座へ。
最近はグーグルマップ多用する
のだが、またまた迷って、1時間半(マップ上は歩きの所要時間!)くらいかかって、 「松永亨子 個展 正方形の皮膚・正方形の瞳」(森岡書店 銀座店)につく。松永さんは興味ふかい本や作品を作るブックアーティストだ。近頃は夢のことをテーマとしてる、松永さんの作品は、乳白の中に夢の物体が現れていて美しい。カラタチがドリームキャッチャーとなってるイメージも好きだな。で、言葉のない本を作るのはなぜかな、と思ったりする。背後には膨大な言葉があるのに。(ちょっと説明を放棄してますな。説明なしでは意味のわからない言葉ばかり。でも説明してても日が暮れる。)
自分は、やっぱりすごく言葉に興味があって、それは多分子供の時に「おはなしが好きで、その結果本がすごく好き」となったことが始まりなんだろうけど、いまはおはなしそのものじゃなくて、本とか言葉とかっていうものが「どうなってるか」っていうことの方に興味が移ってる。とともに、「言葉で言えないことを言葉で伝える、的な」こう言葉でいうと矛盾でしょっていう、そういうことが好き(あらゆるやりかたを駆使して、このこと(=伝えたいことを伝える)をやる運命付けられてるのが人間って生き物なんじゃないの、って思う) 。
ここから、代田まで走るつもりが、時間が押して、電車使う。新宿ハンズで細工材を買って、南新宿(混んだ新宿を避け、ハンズから近い、初めての駅。高架のホームからは高層ビルが見えて、どこか海外のよう。シカゴ?)から世田谷代田(深い!各駅しかとまらないローカル駅にこんな長いエスカレータが!と軽い衝撃) 。
代田では「Ki」というカフェ での、松下美沙さんの個展「ことば展:共存」松下さん本人もいて、お友達といっしょに大きいテーブルに定員6人で座って、真ん中に並んでる松下さん作品を読みながら、ケーキも食べたり、コーヒー飲んだり。
松下さん作品は、とても限定された形をもっている。角背のハードカバーで布装、B6とA6の縦位置で表紙・背ともタイトルはなし、ごく薄い本文は紙質はいろいろで糸とじ、文字サイズは小さくほぼ同サイズで、余白が広い。10種弱の内容(同じ内容で表紙色が違ったり、本サイズが違ったり、がある)があり、新作、準新作が3〜4点だったかな。
これがね〜、なんと言ったらいいのか、そこはかとなく面白いのだ。 字の量はごく少ないので、さっと読めば、一冊5分もあれば読める。 でも、その10種類の内容に「その世界に入れる」のと「ぜんぜん入れない」のがある。それが面白い。本人に聞くと、声に出して読んでもらうように書いたのと、レイアウトだけをリズミカルにして、内容を消し去るようにしたもの、一語からの連想に限定したもの、などなどなど、いろんな実験がなさている世界なのだ。私は、まんまとわかりやすい反応をしてしまっていて、それがすごく面白かった。私は音にするために書いたのに「すごいな〜いいな〜」などとよく反応する一方、意味を考えたり内容を読み取ったりしなければならないのには、かなり感度悪し。
情景を表現してたりそうでなかったり、本当に表現って多様だなと思わされた。
ここからは、もう4キロ弱で自宅。走って途中ちょっと買い物して帰宅。
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