◎ アートって何よ?なんでこんなに説明が要るの?
私は、確か一昨年から、肩書きを「製本アーティスト」にした。
で、私は、いちいち、ながながと「説明」をする必要を感じる。自分についても、ここに並べてるものについても。
なんで長々と書かねばならないかというと、説明なしにはこれがどんなものなのかは、伝わらないと思うから。
そう、銅鐸や土偶が結局「何」なのか、確証をもってはわからないように。(説明が失われてしまったからだ。)
いわゆる「アート」はディープに文化的なものだ。今、あたりまえになんとなく使われてるこの「アート」って言葉も、アメリカの「そういったこと、もの」のあり方を日本語に持ってきたものでしょ。しかも割に最近。(僕が学生だった30数年前は今のようには「アート」って使われていなかった感じがする。芸術って言葉の方が一般的だったような。そして少しアートと芸術は違うかな。)雰囲気で語ってるだけだけど。
いろんな物事は、時代の社会の中で、共有されてる文化的な文脈の中でこそなりたってるってこと。特にアート的なもの(絵とか彫刻が代表だけどほかにもいろいろ)は、時代によって役割が全然違うかもしれない気がする。で、時代の雰囲気が変わろうとしている今、固定的な文脈がわかりにくくなっているので、さらに状況はわかりにくい。やったことが何だったのか、は、時代がすぎた後になったら、歴史として固定してくれる人がいるんだろうけど、とりあえず、自分のあり方を説明して、これが何のつもりなのかを書いてみたい衝動にかられる。
私は、1962年、日本は東京生まれで、小中高は公立、そして美術大学でデザイン科だった、というようなルートで、美術教育を受けてきた。そんな私に定着してるアートのイメージは美術館やアートフェスや画廊を舞台に作品を作って展示したり、コレクターが買って所有したり、家に飾ったりするもの。というもの。今、私が作ってしまってるものは、生の今を生きてる自分から、下に書くようないきさつで、出てきてしまったものなのだけれど、アートの文脈にははめられたくない思いがある。だってアートの文脈で読んだらあんまり意味とか意義とかないんじゃないかなと、びくびくするからね。ちゃんと今日ここに、美術館に、作家然として展示してもらってるわけだけど。
アート、を字義通り(英語よくしらないから自信ないけど)翻訳すると、人工。人が作ったもの、人が工夫したものと理解できる。そうすると自分のやってる行為も「アート」でかまわないか、という気になる。そして、人間も生物だから、人間のあり方そのものもとても「自然」なものだな、と近頃の私は感じる。アート=人工、ついつい何かを作ってしまうことは、極めて人間として自然なことなんだ。
◎ なんでわざわざ「本」で美術するの?
なぜ、「本」で表現するのか。もともとはアートじゃない機能のものを、なぜわざわざ「アート」として表現してみようとしたいのか。
それはやはり、これを使ったらなんかできそうだ、っていう魅力、魔力、謎、みたいな雰囲気が「本」という仕組みに漂ってるからだろう。
「本の美術」には、いつも、説明書が必要と思う。
できることなら、脇に作者の私が立っていて、こうやってみれますよ〜と実際やってみせたり、見てる人の感想を聞いてまた話したりしたいところだ。
「絵」には説明が少なくて大丈夫。
「彫刻」もそう。
それらは、美術館や、お家の壁や、公共スペースに置かれていて、多くの人が、なんとなくだけどこんなふうに見ればいい、って意識しないくらいにわかっちゃってるから。
ところが「本の美術」となるとそういかないことも多い。そういくことも多い。やり方が多岐にわたりすぎてるのだ。
ただの本だったら、みんなそれをどうしたらいいのか、わかってますよね。図書館で借りて読んだり、本屋さんで立ち読みしたり、寝る前に読んだり、電車で読んだり。
書いてあることが 難しくてこまったりってことはあっても、どうやって使ったらいいかわかんない人はほぼいないでしょう。
ところが、それを「美術」だよ、「アート」だよっていうととたんに難しくなる。
本の持ってる多面的な性質が前面にでてくるから。
いったいどこを見たらいいのかわからなくなったりする。
この美術家は、どこに本のどこ着目して表現することにしたのかな、
とか、
そもそも、絵とか彫刻とかわかりやすい美術があるのに
なぜ、本っていう形式をわざわざ選ぶのだろうか、とか。
だから、ただ
本の美術をそこに(たとえばこのように美術館に、とか)置くと、
「なぜでしょう?」
という問いかけタイプの表現になることも多いと思う。
マルセルデュシャン以来、こういうのが現代美術だと思う。説明されてはじめて、ああ、そういうこと!ってピンと来たり、全然来なかったり、
面白いものですよね。
そういう、これって何?これってどういうこと?とかそういう問いのとこから見始める必要があるのは、現代美術的だと思う。
そこもとても面白い。
でもでも、今、私は、もうちょっと基本?に立ち返って、
これで何をいいたいのかをもっとわかってほしいと思ってる。
表現するって、伝えたいからでしょ。と。
そして伝えるためには、ものだけじゃなくて、言葉も駆使していこうと思っている。(絵とか彫刻とかだと、すでにそれだけで表現なのに、言葉で説明を加えるのは卑怯だ、というような気分があるけど。だけど大概の作品には言葉で名前がつけてあって、ああ、このことをこう表したんだな、とかわかるようになってるよね。これが反則的だな、と思って「無題」とかつけるのだと思うけど、そんなにストイックにがんばるより、もっと説明しちゃってもいいんじゃないかな、と最近私は思う。もしも作品に「いきいき」があるのなら、いかに言葉を尽くしても尽くさなくても、輝きがあると思うし、そうでなくて言葉の表現によって輝くのならばそれもありだな、と。)
なぜそんなふうに思うようになったか。
それには以下のような歴史があります。
◎ 製本教室での展示が表現を考えるきっかけになった
僕のやり方の基本になってるのは、自分がやっている製本教室(手で作る本の教室。1997年開始)の作品展。最初の展示は2001年だ。うちの製本教室では作るものに制限をしてないから、いろんなものができる(箱をはじめ、本ではないものもできる)。
単に並べただけだとそれが何なのか、作った人は何をしたのか、がわからない。文章を書いてプリントして本にするところまでぜーんぶを一人でやってる場合もあるし、文庫本に好きな素材の表紙をつけただけのこともある。だから必要に迫られて、いちいち、この人は何をやったかを詳しく書いて説明したプレートを作るようにした。
作品への思いや、私の感想なども入れる。そのことによって、へー、そうやって作ったんだ、とか、そこが楽しかったんだね、とわかるし、特段本作りに関心のない人でも興味を持ってくれる場合もある。
全体を作ってる僕としては、表現ってなんだろうとか、既成の枠組みである「絵」などでは無意識になっていた部分にも意識の光があたるようになってきた。たくさんの「作品」と一緒にここ(美術館)に置いたことによって、ああ、これも作品だよね、と認知されるようになってる、という気づきもあった。
その点、デュシャンの泉と同じ。
それと集団のパワー。美術館の区民ギャラリーを借りて「本つながり」で何かを並べれば、もう総体としては「ブックアート」の展示、ということになってしまう魔法。
ガラクタとも謎の物体も、そこの中にあって、上手に説明できたら、立派なブックアートなんだ。
ともかく説明説明。
◎ 自分が「本の美術」の作家を目指していたこと
そして、もう一つ、本の美術でこまるところがある。
それは一人でできない、ということ。
もちろん、一人何役もやって、つまり著者、編集者、デザイナー、製本所、そして出版社、を全部やればいいんですが、普通に考えるときつい。
まあ、いろいろなやり方がある。
最初、一人全役で、2点くらい作品を作りましたが、中身を作るのがすごく苦しく、ネタもすぐ尽きた。いや、最初から、上に書いたような役の一つをちゃんとやればいいだけなんだけど、なんだろうね、あくまで一人でやりたいのね。(っていうか人と一緒にやることが苦しいと思っちゃていて。あなたはわがまま、自分勝手、と小学生の時さんざん言われた。。。。)
で、「本の美術」の作家であることを断念した。
なぜそんなことになっちゃうかっていうと、フランスの工芸製本の技術を身につけたことが大きいかもしれない。
(本の美術をそのごく狭く素晴らしい世界から眺めてしまう習慣が身についた。)
日本で言ったら漆芸とか陶芸、というようなポジションに感じられた。
すばらしい装飾的な本がいっぱい作られている。上質な革と金を中心とした華麗な装飾。ますます全部を自分でやろうだなんて大それたこと、と思うようになった。
しかも、ほかの工芸と大きく違うところは、内容がなければなりたたないものであるというところ。伝統のあるフランスなどヨーロッパでこそ、分業で成り立っている分野だけど、日本でそれをやろうとすると、もう、道はすごく遠い感じがしてしまった。 (あと、日常につながる度合いが、器などの比べてはるかに限られてるというところも特徴かも。本を読む必要がある人だってものすごく多くはなく、ましてそこに美をとかなんとかを持ち込まねばならないのは、本当にごく限られた人達だろう、やはり。)
そこで、作家的に全部を作るのは断念し、教室業に専念することになった。そして時折頼まれる本の直しとそれにともなうリフォームなどをやった。教室でやっていることと注文で直しなどをすることは、基本的には同じ感じのこと。相手の希望を聞き、感じ取って、作り方や雰囲気や素材を提案をする、ということ。試作して、教室では生徒さんが仕上げ、注文では私が仕上げる、という感じ。ちょっと聞くと自分がやりたいことができなそうなのですが、実際はすごく楽しい作業だった。なぜならば、だいたい相手は製本の経験はごく少ないのでイメージは漠然としていたり「こういう感じ」がはっきりしていても、これまでどこにも存在したことのないものなので、そこにたどり着くルートは未知。私が曲解する(つまり私のイメージを盛り込む)余地がとても大きく、また、相手の思ってもいないけどとても喜んでもらえるということが何度も繰り返され、すっかり楽しくなってしまい、自分が作家であるかどうかはどうでもよくなっていった。
◎ 「一枚革の辞書」 すごくうまく展開できた作例
そんな中で、出版本「手で作る本』(2006年)と「もっと自由に!手で作る本と箱』(2008年)が文化出版局から出ることになった。これは生徒さんでもあった小山内真紀さんの企画で生まれた、製本技法書でありアイデア集でもある本。その中でも気に入っているのが、この「一枚革の辞書」(2007年)だ。辞書や聖書、祈祷書のようなものは長い期間使い、書き込みなどもあり取り替えの効かないものだ。そして長く使うだけに壊れていることも多く、この作例の前にもあとにもいくつかのリフォームをした。アイデア集に乗せるのにアイキャッチのある「かばん型」にした。壁にかける、ホックを使って閉じる、という姿をとることもできる。(壁にかけるのは、意外に難しいです。説明を見たりしてパズルに挑戦してみて。)
本は持ち歩きに便利。電気などなくても使える。ということに加えて、すでに電子媒体に取って代わられた伝達(時間を超えて、あるいは空間的移動で)の機能を終えて、もしかしたら「もの」としての魅力がより発揮されるのではないか、と思った。壁掛けスタイルを思いついて、室内のあらたな装飾としてもよいのでは、と思った。壁掛けしたことで、広い面積の小口も目立つ部分となるので、装飾を入れてみた。シマウマ的文字の模様は、とても上手く嵌って、開いた時の柄の変化も美しい。全体として、自分が作ったとは思えないくらい上手く仕上がった作品。(でも作ってる最中は、取っ手の形状に悩みまくって2ヶ月くらい放置したりしてたのを、今思い出した。)
◎ 「段ボールキューブ 丸で障子」 ありものの構造を利用
同じく「もっと自由に!手で作る本と箱」の作例として作ったのが、2007年に考えた、段ボールキューブ。前の作例もそうだが、「本」というものの特徴として、手で動かして姿が変わる、ということがある。もともと「開いてめくって読む」という機能だけど、製本教室で作っていると、さまざまな要求の中で、いろいろな開閉や収納などのやりかたが見つかった。なかでも段ボールは、それ自体の構造がとても面白い。三層になっていて、中層はなみなみの中空を持ってる。表と裏の外層に交互に切り込みを入れるだけで、伝統的な蛇腹折りの本「折帖」と同じ構造を作り出せる。また、「折帖」(御朱印帳に使われてるしくみ)と全く同じに二つ折りのピースをつくって組み合わせる作りもできる。展示してるのはこっちの構造。2015年にアメリカのMCBAで講習をする機会をもらい教えたバージョン。日本風なものがいいかなと思って、丸窓をつくり半紙を挟んで障子風にしてみた。これを作るにあたっての工夫は、表紙の芯をタイルにしたこと。その重さで段ボールがびよーんと浮き上がるのを防ぐ。タイルは、本の背の補強に使う裏打ち寒冷紗でくるんだ。段ボールを切る作業にもタイルを使い、立方体きれいに簡単に作るのに役立てた。だが、最大の工夫は、段ボールのバイアス使用。中層になっている波波に対して斜めに正方形をとることで、四方の断面とも波波が出るようなった。斜めの角度を変えることで、波のピッチに変化もつけた。
◎ 素材と出会う、人と出会う、組み合わせる
さて、このアイデア集を作ってる時期(2004年〜2008年)は素材マニア全開だった。素材の声を聞くというのか、新しい取り合わせや、適した構造を思いつくのがとても楽しかった。
そういう中で、友人のチェンバロ奏者から、楽器上に置いても音をさえぎらない革の楽譜挟みという注文があった。(古いピアノなどの鍵盤楽器の譜面台も、透かし彫りが美しいものも多い。それは奏者の感覚をさえぎらないように、という配慮から。)2005年のことだ。
それで作ったのがアルミパンチング板を芯にして、両面を透かし彫にした革で覆うというアイデア。これがまた、びっくりするほど、置き物とてしても美しいものができて、自分が作ったとは思えない感じだった。(これが、大分あとで2013年の個展につながった。)
この時期もそのあとも、ずっと教室に居て、来る要望に応えるように、つまり素材と人の求めに耳をすまし、よいと思う形を提案して、完成に漕ぎ着ける、ということを繰り返していた。
流れに任せて生きてる感じで、これからどうなるのか、とかどうしたいのかというのも特になく、相変わらず、本の美術でご飯を食べるのは教室、というくらいしか考えられず。
出かけないので外の情報は2〜30人くらいの生徒のみなさんから入るのが一番太いパイプ。だが、これは実はものすごく貴重なことだったし、今もそうだ。なぜなら、毎週2時間半が×11レッスン、僕も入れて2人から4人で一緒の場を過ごす。
しかも、そこは(後で知った言葉だけど)安心安全な場。つまり、何を言ってもいいし、やってもいい。先生(つまり私)の言うことに従う必要もない。やりたくない作業は先生にやらせてもいい、というような。やりたいことばかりやるからいつもクリエイティブ=楽しい。僕にとっても初めてのことが多いからいつも新鮮で勉強になるし、僕の方が経験は多いとしても、その初めての事例に関してはお互いに対等。生徒さん同士も人が進め方などで悩んでいると、他人事だからどしどしと意見を言ってくる。それがまた、すごく面白い時がある。
よくこのあたりのことを「すごい、こんな教室は他にない」とほめられる。
が、逆にちゃんと決め事をやって事業として展開する、という勉強が全く気がすすまなくてそうできてないというだけ。やる気のしないことをやる、ということが極端にできないタイプなだけ。その自分の性質を、まあ利用したといえばそうなのだが、だらだらとなるようになってるだけ。(だがおかげでほぼずっと楽しい。)
「ここの場」にシンパシー?好感?を持ってる方々のリアルなフィーリングから「直接」社会に触れてる感もある。
◎ 2013年久々の個展
そんな、引きこもりような私のところに、個展をしませんか、という提案をしてくださる生徒さんとそのお知り合いの画廊オーナーの方がいらっしゃって、さんざん迷ったあげくやることにした。2012年のことだと思う。
なぜそんなに迷ったかという理由は以下。
求めがないのに自ら創作する、ということが全然想像できなかったこと。
内容から全部作るというのでは2000年にやった個展でもう諦めがついていた。その後も個展はしたけど、注文で作ったものを借りてきてした展示と、アイデア集の出版記念。どの展示も自分にとってはとても面白かった(多分来場の方々にも楽しんでいただいたと思う)。だが、売り物としての作品がない。プロの作家としては個展は発表するだけじゃなく、自作を売る場でもあるわけなのだから。
結局、個展も大きな意味で注文だ、という単純な理解に至り、やることにした。
やることにしたら、なんか楽しいわくわくした気分になったのだった。だが、あんなこともこんなこともと思うものの、ちゃんと形になる本のアイデアは全然出ず、展示の半年前頃になって、並べるものが何もないぞ、と、残された時間の少なさに、ぞぉーっとした。
結局、2005年に作った楽譜挟みのバリエーションを作ることにした。
それしか思いつかなかった。そこまで追い詰められないと動きようがないほどに「本」についてのこだわりが強かったのだ。つまり、本は中身が偉くて、それがなければどんな外装を作っても、本の美術たり得ないよね、と。なんとかして「本」を作りたかったのだと思う。しかし、結局、けつをまくって、やれたことはいわば表紙だけ。(まあ、普段のリフォームなどの仕事でも内容を作ってるわけではないから、それほど変わらなくて、これしかできない、んだけど。)
それだけ、内容を作る、ということに対しての憧れ、それのできないことへの劣等感が強い。それができないからこそ「個展」などできないな、と思っていたわけだし。そんなものを吹っ切るためには、あの、ぞぉ〜っとするくらいの「追い詰められ」が必要だったのだ。
普通の本だったら内容を抜きに表紙だけを作ることはできない。構造としても、本という存在としても。だけど、楽譜挟みは「本」じゃなくて、それだけで成り立つものだから大丈夫。
だから、もうあまり本にこだわるのはやめることにした。そして肩書きを「手工製本家」から「製本アーティスト」に変えた。?。?。あんまり変わらん?
表紙だけ作るんじゃあ、製本家ではないような気がした。
それと単にアーティストだとどんな方面の人かわからないし、ブックアーティストだと中身が関わってくる感じがして後ろ暗いし、折角「製本」っていう技術は持ってるんだから、その語は入れたい、と、まあそんな感じ。
「製本」をアートにつなげるんだったら、表紙だけの楽譜挟みも作っていいか、と勝手に思う。ややこしいね。(と、まだまだ、とてもこだわりのかたまりなのであった。)
個展では、室内の飾りとしても美しいものとして、中に電球やLEDを置いて並べたりした。
このタイプの楽譜挟みを「かげびょうし」と名付けて展示タイトルにもした。
置いた状態、ついたて状にした時にできる影がきれいだったから。そしてこの多用途というのかいろいろな「態」を取れるということが自分が本についていいなと思っていることの一つを体現してるな、と好感を持った。
だからこの物自体は「本」ではないのだけれど、製本アーティストという肩書きにした自分が、これを作るのは、矛盾は感じなくて、それ、いいんじゃない、と思えた。
それになんと言っても、一人で完結できることに、ものすごく「楽」を感じた。
なんでそんなに一人がいいのか。相手の都合を考えずに好き勝手にやりたい気持ちが強いのだ。だから、この作品をここに本の美術として並べるのは微妙に「どうなんだろうか?」という気持ちもあるけれど、まあ、いいか、と思う。
この「かげびょうし」展で得た最大の収穫は、表紙だけを作るのもあり、ということか。
◎ 「山茶花(航空ベニア)」
2013年の個展の「かげびょうし」の作品群に近いものとして、今回、展示しているのが2014年の鍵盤奏者のミュラー・マイコさんとのコラボ展に作った、楽譜挟み、「山茶花(航空ベニア)」。実は、かげびょうしは、作るのがすごく大変。切り抜いた革をアルミ芯に貼るのは、革がぐにゃぐにゃと動きがちでとても難しい。接着剤も特殊なのを使うし、作業手順を作るのに四苦八苦した。ここに並べた作品は、この難しさを回避して、表裏合計6面を別々に切り抜いて貼って、各々の接合を革にしたもの(もとの革でやるタイプの場合、表3面をいっぺんにはって、裏3面をまたいっぺんにはる)。ベニアの切り抜きも、レーザーカッターを使い、とても作業が楽になった。レーザーカッターの使用は、いろいろな可能性を感じて、わくわくしたのだが、一段落してみると、自分が作った感がないので、「どうなんだろうな〜」という気持ちもある。
で、次の個展(2015年)では、本やノートを挟む表紙を作ってみようと思った。
◎ アメリカでプレゼン 説明っていいな〜
2011年に台湾で「手で作る本」の繁体中国語版が出た。このことに前後して、海外から受講者がちらほら来るようになった(香港、シンガポール、タイ、中国、ノルウェー、アメリカ・・・と)。2013年にSheila Asatoさんと知り合い、その結果、2014年に、はじめてアメリカへ行って、ミネソタの MCBA(ミネソタセンターフォーブックアーツ)で非公式だけど作品を見せて話をさせてもらった。本人はひきこもっていたのに驚きの展開だ。
アメリカの習慣は、作品を見る前に、その出自というのか何を元(動機?インスピレーションの元?コンセプト?みたいなことかな、と思った)に創作をしてるのか、などを語るのだ。日本だとまず説明することは憚られる。言葉で何かを言うのは卑怯で作品そのもので語りましょう、という無言の圧力がある。(アメリカでの体験を経てはじめて自覚したことだった。)しかし私の場合、実質的には教室展で、さんざん説明の経験を積んできていたので、英語は不自由だけど、説明は全然不自由ではなくて、とても楽しい経験だった。ものすごく「伝わってる感」があった。そして、説明は何を言ってもいいんだな、と口から出まかせ的な自由さと解放感があった。
この時の話を、音楽関係でカリフォルニアに留学してるヒッポの友達(大学生)に言ったら、演奏でもそうだよ、とのことだった。彼は、アメリカのやりかただと2度美味しいと。最初、説明を聞いて楽しんで、それから実際の演奏で楽しむ。一方、日本だと、演奏だけで語ることになる。こっちのやり方だと本当に伝わる人にだけ深く伝わるので、それはまたすごくよいものなんだ、とのこと。小さい時から多くの文化や言葉を経験してると理解がすごいな〜と関心した。
そして、この経験を経て、2015年に、再開2回目の個展「けはいのしくみ」をやった。
◎ 2015年の個展
本じゃなきゃいけないんだ、というくびきから逃れられたのかもしれない。「このジャンルで」とかじゃなく、思いついたらなんでも、好きなものを作ろう、と。
そうやって2015年の個展は、前回よりも、もう少し落ち着いてやることができた。前回とは違ったものを、ということで今度は、ノートや冊子を挟むための表紙、ということでやることにした。
タイトルは「けはいのしくみ」。いろいろな「態」をとれる、ということは、仕組みがある、ということでもあると思う。
「本」もすごくうまくてきた仕組みであって、そこがすごく好きなところだ。そして、しくみは普通、何かの機能のためにある。ここでは、なんとなくの雰囲気を作り出すための仕組み、ということにして、機能はノートを挟む表紙、ということにした。
前回に比較したら、ずいぶん余裕を持ったつもりだったが、やはりいろいろが押せ押せになった。革装のものは植物紋の箔押しにしようとしていたのにいくつか試作した結果全くピンとこなくて、円と正方形の深押しになった。これの一つが「闇夜に静かに降る雨のしずく」。そしてもう一つのタイプがアルミとアクリルを使って、いろいろ挟んだタイプ。こっちに類するのが「農村地帯 バリ島上空」。タイトルが随分と凝っている感じ。
実は、予定の作品が仕上がって、あとはキャプションというか、展示プレートを作る段になった。
その時、ずっと培ってきた、説明魂(?)がだまっていなかった。
丸の模様や、植物の押葉がいろいろなもの?こと?見えてきて、これを言葉で説明したら、作品自体にはそんなに興味がない人にも展示を楽しんでもらえるんじゃないか、と、思いついてしまった。さらっと説明を書き上げるつもりが、結局、個展初日の前夜は完徹となってしまった。それにしても、見立てとか説明っていくらでもやりようがあるな、と思い、可能性が開けた気持ちになった。(このことで思い出すのが、星の王子さまの、象をこなすうわばみの話。。。。)
それは以下のようなもの。
『闇夜に静かに降る雨のしずく』
あるいは「みんなちがってみんないい」かな。目をつぶって、見えない静かな夜の雨を感じる、じんわりと静かな気持ち、を思いました。肌色の革は「自分」かな。その中にいろんないろの闇があって、かがやくしずくもある、そんな感じかな。
丸の配置を作るとき、マイブームの60度での配置(正三角形がたくさん連なっているような)を試みたのですが、うまく行かず。あきらめて全体がバランスよく入る均等割にしました。黒い丸は、エイ革、オストリッチの足の革、牛に漆の革、山羊革、そして顔料箔の黒。大きいものを二つ、小さいものを一つ入れて、変化が心地よいようにしました。こだわりは、黒の顔料箔の押し。押し型として、真鍮の丸棒を削り、膨らみを持った状態にしました。実は小さい丸型での輝き(小さい銀色の点)の効果に驚いて、大きい型もどうだ、と15ミリ径の真鍮の丸棒を磨いて押してみたのですが、金や銀では期待してた効果は全くでず(乱反射の不足なんでしょうね)。意外にもこの「黒」の押しで効果がでました。それぞれに味のある革の質感に対して凹みの存在感が気に入ってます。
私は、何事も「揃ってる」っていう状態が嫌いで、このように、揃っているようでいて崩しがあるのが好きです。たとえば、表紙の四隅とも銀色の点になったりしないようにしています。
『農村地帯 バリ島上空』
庭の笹の生えている中から出ていた、イネ科の、名前を知らない草の穂を押葉にしたものを使った。イネ科の花序は好きなものが多い。イヌムギ、カモジグサ、コバンソウ、ヒメコバンソウ、カゼクサ、などなど。繊細な花序は、描いて表現するのが難しいが、こういう風に押葉にすればそのまま使える。できた押葉が、不規則な形の田んぼの道に見えたので、パンヤの綿を雲にして、上空から見ていることにしてみた。
グーグルマップが一般的になってから、いつもこんな航空写真を見てる気がする。水牛が居るような、地形のままの田んぼって、バリ島?って思って、ネーミングした。
バリ、まだ行ったことがないけど、ガムランいいな〜って思う。
昔、スネークマンショーのアルバムにガムランが入っていた記憶があって、それが、ものすごく懐かしい音で、多分、僕ってそっち系の人?って思ったりした。(アイリッシュトラッドも懐かしく感じるから、なんだかわかんないけどね。)まあ、血じゃなくて、どっちも、魂のふるさと感はある。(脱脂綿を雲に見立ててよく使う。でもこの作品では雲はパンヤ綿=カポック綿。南方系だ。そんな密かに潜在的なつながりもどこかで自分は感じてるんろうな。この小さな画面は、ものとものが出会う場でもあるな。)
◎ 次はどうなるんだろう?
文や絵で創作ができない、湧き出てくるものがない、と、外装を作ることにした僕。
外装を作ったら、言葉が自分から溢れてきた。その言葉は、説明とイメージの混合したものだった。
この展示はとても面白かった。
買ってくださる方も多かった。また、追加で作ることも可能だったので、お待たせして収めたりもした。
そんな日々が過ぎてしばらくして思ったのは、この展示は、つけていた言葉と、表紙の作品がセットになってはじめてまとまった「表現」となってたんだということ。ノート挟みとして使ってもらって、表紙の柄を楽しんでもらうことはできてるとして、展示の時に、見立てや説明の言葉は、忘れられていく。
これをなんとかならないかな、と思う近頃。
ものと言葉が一緒になった表現をしたい。どんなふうにしたらそういうものになるんだろう?変なルートをたどって、また本的なものに接近している気がする、昨今。
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