今回の展示で、メインは「サンドイッチホルダ」なんだけど、それ以外にもう一つ非常に重要なものがある。それが以下。
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42、「けはいのしくみ」の記録
これは、僕にとって、非常に重要な冊子。なぜならば、冊子の中にも書いたが、自分の表現がどういうものであるのか、の発見がなされた、と思えるから。
内容は2015年の個展「けはいのしくみ」での、説明文を作品の写真と一緒にまとめたもの。
その展示が終わったあとしばらくして思ったのは、作品を買ってくださった方はものだけをお持ち帰りいただいて、説明が取り残されてしまう、ということ。それがなんかかわいそうな感じがした。説明を読んで買ってくださった方、作品そのもの、そして宙に浮いてしまった説明、の全てに対して。
その気持ちは、僕の作るものは、説明の言葉と一体だということの発見だった。
今思うと、これには伏線がある。
2014年にミネソタセンターフォーブックアーツ(MCBA)で、自分の作品について喋らせてもらう機会があり、たいしてできない英語で作品について、あることないことなんでも喋ったら、みんな熱心に聞いてくれた。こんなに語っちゃっていいの!?って思って、なんかすっとした。自分は無意識に説明を制限していたんだな、と気づいた。言葉で説明をするのは卑怯だ、作品そのもので語るべきなんだ、と思い込んでいたのだ。
しかし、それは見方が確立した分野で可能なこと。僕のやってることなんて、何も言わなかったら誰もわからない。こんなやりくちの表現はないわけなんだから、がんがんしゃべっちゃっていいんだと思った。
ふと気づいたら「ちゃんとした本」を作ることになった。そんな感動がある。
つまり「製本を作る人」としての自分に対して、「内容を作れない、中身がない、ガワだけ作る人」みたいな劣等意識が、どこかにないとは言えなかった。
それが「今これが必要」という気持ちから自然に「本」ができてきたのだ。
一方、これはもろに和本の形をしている。その説明は以下。
僕は、しばらく前から、和本の合理性に惹かれていた。
保存をするときは、必要に応じてしっかりした帙などに収めるが、読むときは薄くて軽い状態。軽いからごく単純なしくみで綴じることができ、修理も簡単。
片面のプリントで作るので、今の普通のプリンタで簡単にできる。表裏の位置合わせの必要もなし。問題は、普通の洋紙で作ると、折られた洋紙は硬くて、開きが悪くなること。
それが、書道の半紙にプリントすることで解決された。発色もまあまあいいし。写真をすごく綺麗に見せれるかっていったらそうでもないけど、それよりも今は和本の形をとる僕。紙の薄さで、裏のページが透けて見えることは、間に紙を挟んで解決。(同じ紙を挟むつもりだったが、それでもまだ透けるので、不透明度の高い洋紙に頼ることに。ちょっと本が重くなった。)
実は、明治20年ころの和本から洋本への移行期の話を聞き、作例を見せていただいたことがあり、同じ内容を刷った和本と洋本のサイズの違いに本当にびっくりしたことがある。
辞書のような内容だったと思うが、和本だと全巻かさねるとすごい厚さ。多分30センチとか40センチとか。それが洋本だとわずか3〜4センチの一冊に。さらに、その革装は、今のスマホ以上の、知識や世界の広がりにつながっていく、圧倒的な輝きがあったであろうことがひしひしと感じられ、もしもその時代に生きていたならば、私は絶対に洋本を使う方にどんどんシフトしただろうな、と思った。
そして、現在。圧倒的な情報量をもったウェブに、メディアの主役は完全移行。
いまや、本がコンパクトである必要性はない。
むしろ、小さな単位で作れて、小回りが利いて、自分の持っている道具でやれること。
まさに「和本」復活のとき、と僕は思う。
そこで、この形。
これを現状の形にまで持ってくるには、栃木香織さんとのやりとりがとても必要だった。半紙サイズをプリントするにはA3のプリンタが必要。(私が購入し彼女のお宅に置いてもらってプリントしてもらう、という暴挙を受け入れてもらった。)もちろん写真そのものも栃木さんとパートナーさんの上野隆文さんに撮ってもらったものである。(写真を撮る人やデザインをする人としては、この画質にはかなりストレスを感じるのかも、などとも思う。)でも、きっちり美しくデザインもしてもらった。
表紙には、ホルダの方にも使った、潮紙の薄い方を使った。墨を混ぜたこんにゃく糊を塗って、揉んだもの。タイトル部分は、佐藤友泰さんの三椏紙でおおった。
まだプロトタイプ的ではあるが、この半紙プリントで10部くらいは作りたいな、と思っている。
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