1 螺旋に光を入れる
カタツムリを久しぶりに庭で発見し、その美しさにはっとなって思わずIphone7で撮る。写真で「拾う」って思った。
僕はいつもガラクタや植物の種や昆虫の死骸とかそのほかのいろいろを拾う。東急ハンズに行って、使い方を知らない、小さく精巧なベアリングとか、ガラス樹脂でできた小さな基盤を買ったりもする。そうやっていつもいろいろの好きなものやひっかかったものが集まっていることになる。
写真で同じ感覚だった。いままで意識に上らなかった 。
アクリルの板の間に挟むというアイデアは随分前からやってるけど、写真を挟むというのは思ってなかったけどそれもありじゃないか。どうせなら、その写真も透ける、と嬉しい、とすると、ああOHPフィルムってあったな、まだ売ってる?と検索し、ごそっと買い、プリント。半紙に墨を塗ってもみくちゃにしたのの上に重ねて、脱脂綿で光を入れたら、なんんかいい感じじゃなぁ〜い。
すべてはこの最初の一つをきっかけにはじまって行った。
螺旋は僕を胎内回帰的な浜辺に連れてく。
陸貝でも巻貝のイメージは、海、なのだ。
2 竹越しの月(たけごしのつき)
DMに載せた作品のもう一つ。
竹を組んだ、浴衣とか着替えとかを置くような薄い四角いトレーみたいないれもの。多分祖父母が使ってたやつがずっとあって、でも底の角がこすれて切れて、もう使えなくなってた。
だけど組み目がきれい。で、底だけを切り取って、ずっと持っていた。
だけど切りっぱなしになってる竹を組んだやつはエッジがこまる。
止めがないからバラバラになっちゃうし上手く表紙に使うにはめんどう。
でも今回のは、枠の中に収めてしまうから切りっぱなしで大丈夫。
内側は「写真って、きれいだなって思ったものを全部素材として撮っとけるじゃん」といういまさらな気づきに大盛り上がりになってる時に発見した、こもれび。
それと、接写で撮ったたんぽぽの綿毛が美しい。こっちは書道の半紙にプリントしてロウを染ませて少し透明感をだして重ねてる。丸く裂きとった和紙は、月に見えるので、月がかそけく怪しい夜空な雰囲気。組んだ竹の間の四角が透けて見えて、それも和風ないい感じ。見る角度や、まわりの光の状況とかで、見え方が全然変わってくるというようなもの作りをいつもしたいと思っているので、これはやったぜ、という感じ。
このあたりのことが僕にとっては「自由への道」という感じがある。
たとえば、印刷という平面世界の中では、インクの色という均質なものの中で厳密な構成をしなければならない。だから正解的な構成がある。(と思う) しかし、世界を3次元に移すと、正解は曖昧になる。僕は色彩構成にとても苦手意識があって、色合わせができないな〜と感じていた。だけど手作りの製本をやるようになって、どんな色でも合わせられないことはないな、どころか、逆にとてもそれが楽しいのだ。素材感(それは微細な立体構造)があると、色は単純なものでなくなる。なんでも「合ってっていればそれでいい」って感じになる。これも、何層目かに白い和紙の丸を入れて、あ、いい月夜。で、できあがり。
3 二十歳の娘への記念プレゼント
この作に関して、話は裏面(内側)から始まる。
彼女が高校の時に、もう壊れてるのにずっと使っていたムーミンの箸入れ。
随分前に「捨てられないから、おとうさん、これで何か作って」と預かっていた。でもそのまま、何にしようかな、と置きっぱなし。
今回、これを使って成人記念のプレゼントを作る、ついでに展示にも出す、一挙両得!と思い立ち、ようやく作りが起動。
捨てられない娘は、愛用してボロボロでもう捨てるしかない山用の雨具もフードだけ残してる。それを下地に敷くことにした。北海道大学のオープンキャンパスに行った時に拾った、もふもふのポプラの種。これも記念に敷いて、色のバランスをで黄色の丸(今回多用してるサボテンの花の色)を入れて、表側には雨具の裏地の暗いグレーが見えてるので、こもれびのOHPフィルムをここでも使って、即席月夜。
箸置きの折れた部分がちょうどスナフキンだったので、内側は「いつも君を見守るあたたかな家族」、外側は「二十歳の君は一人で行く旅人」でもあるよ、と月の中にスナフキンを入れてみた。荒涼としたすすき野を思わせる羽もあしらう。(ついでに言えば、娘の名前は「望」で満月の意味。)
内側にたくさん詰めたし、箸入れもあるから、なんだかお弁当感があるね。
4 こおりの下、薄片世界
バケツに張ったどの氷の裏もそれなりに美しいように、暗めの紙の上に破ったグラシンをパラパラと重ねると、どうやっても美しい。といいつつ、もちろん多少はいろいろ配置を試すけど。
グラシンネタは元々封筒から。
1冊目の著書「手で作る本」で、グラシンの封筒を使った本を提案した。企画の小山内真紀さんがネタとして持って来てくれたのは、アメリカ製の厚手のグラシン封筒。これは人気で教室でもやりたい人が多かったのだが、封筒が入手しにくい。じゃ、作っちゃえ、と自作したのだが、日本製のグラシンは薄すぎて雰囲気がでない。
そこで思いついたのが、二重にして封筒を作ること。二重のあいだにもなんか挟めるので、手紙だけじゃなく飾りを入れられる。
そんなことをやっていたので、今回は紺色の紙を包んでしまえ!封筒のように、と思いついた。
包むとアクリル枠に入れるのも楽。
さらに規則的な折り込みの形がうつくしい。ナイスアイデア。
背はオストリッチの脚の革。
5 夕陽の向こうに
網戸越しの竹からの夕陽のこもれび写真。こもれび、と言っても、これは竹そのものとそこから日が透けてるのを撮った写真。
「写真」で喋りたいのではないので、いろいろやって隠す。プリントした紙も、あらかじめこんにゃく糊で点々を打っていたもの。プリントしたあとにロウを撒いてアイロンで染み込ませて冷えたらもみくちゃにする。そして表に見せてるのがプリントの裏側。アクセントに、黒と白のちぎり和紙と、私の定番素材コナラの新芽のおし葉。
実はこのおし葉にもひとつ話がある。
春に大風が吹いたら、近所の公園に拾いに行く。これは多分一昨年くらいにひろったのだが、教室で忙しく、おし葉にするのを忘れて乾いてしまった。あーあ、と思ったけど、そうだ水で戻せばいいって思いついた。またまた忘れて放置。気付いたときには烏龍茶のお茶っ葉のようになって黒く変色していた。自分のだらしなさが腹立たしかったが、とりあえずひろげて、おし葉に。乾き上がったおし葉を見てびっくり。表が深い濃い緑になり、裏との色の対比がいままでになく美しい。またまた、失敗からの発見。(いろんな科学上の発見が、失敗からおこるってことが凄く実感できる。僕の発見は、社会的意味は全くないけど、本人の感動の種類は多分一緒)
裏面はプリントアウトそのものなので、あーインクジェットで写真なのね〜感を消したくて、なんか重ねるものを探す。グラシン紙は当たり前すぎるので、もっと人を食った感じの、と思って、ちょうどそこらへんに有った、雨の日に新聞がはいってくる薄いポリ袋をくしゃくしゃにして、4枚くらい重ねて、スペースぴったりサイズにカットして入れた。なんかタチウオみたいな銀色。4枚の途中だったか一番下だったかにちぎった黒い和紙を入れた。ごく薄いのだけれど、こういった積層で光的なものを表現するとき、黒の要素を持ってくると深度がでる感じがする。和紙のちぎった毛羽は、滲んだ効果を出す。夕日の暖かさとわずかな闇が目にじんわりとくる感じになる。
6 こうぞ迷彩
紙の原料、楮は、意外にどこにでも生えてくる生命力を感じる灌木だ。近所でネタ探しをしてるとき、発見。こうぞの葉は独特の食い込みがいいリズムで、空をバックに撮ってみた。iPhoneを上向きに枝の下に差し込んで適当にシャッターを切る。なんかいいの写ったらいいな、って。葉の出方のリズムがいいね〜。間に太陽も入った。OHPフィルムと半紙にプリントアウト。半紙はロウを染み込ませて半透明に。寒冷紗と脱脂綿を使って味付け。寒冷紗はフィルムのきらきらを消し、涼しげに、脱脂綿は光を入れる感じ。木陰に寝っ転がった気分。
7 黄身的ミジンコ
鶏の卵の発生写真?という雰囲気になったけど、3種類の写真を重ねて作ったイメージ。 ミジンコの顕微鏡写真をOHPフィルムに。たんぽぽの冠毛種子の接写と黄色いサボテンの花の接写は、ざらっとした表面の紙に重ね刷りしている。(裏面の円は、同じ紙にサボテンの花だけをプリントしたもの。それだけで幻想的、って思う。) このミジンコは、うちの教室の遠藤実香さんがジャズの坂田明さんからおすそ分けしてもらったのをさらにおすそ分けしてもらったもの。(生徒さんが、ミジンコを持ってきてくれる製本教室。誇りです) 父の古い顕微鏡で見てみたらたらすごくきれいで、思わず接眼レンズにそのままIphone押し当てて撮った。古い顕微鏡なので見える範囲が限られていて、その円形をそのまま利用してこうなった。多分、写真としてちゃんとしてないからそれだけで完結できず、組み合わせて面白さが生まれると思う。(一人で完璧だったら、誰とも繋がれない。欠けてることやできないことにこそ、無限の可能性があるって思う。強く。ほんとに。つくづく) でも、そのままだと恥ずかしい感じがして、OHPフィルムをくしゃっとさせてみた。効果のほどは?よかったのか悪かったのか、だが結果はすでに出てしまってる。
8 パピエコレイト
水を塗ると紙がぼこぼこする、というのがここ数年か10年くらいの興味。ぼこぼこするだけじゃなく、薄い色もつけたら可愛いかも、と薄めた水色をぽんぽんと置いていった。(色じゃなく、ぼこぼこが先ね) マーブル紙というのは、水面に浮かべた絵の具を写し取るから、濡れても破れない丈夫な紙である必要がある。丈夫っていうのはどういうことかっていうと、紙の繊維が長いっていうこと。繊維が長いとどうなるかっていうと、よく伸びてよく縮む。よって水を塗ったらすごくぼこぼこするのだ。そういう理由で、どう使うかわからないけどマーブル紙の裏に色付きのリバーシブルの紙ができていた。短冊に切って折るとそれだけで面白いな〜って思って、同じ紙の上に置いて、見え隠れする感じにして、白の麻糸で動きを加えた。そこらへんの紙をコラージュしてアートになる「パピエコレ」(紙を糊で貼るってことね)という言葉を思い出した。アクリルの中に閉じ込めると、置いただけの糸の美しい曲線がそのまま使えるので、それも嬉しい。(何箇所か糸の裏にちょんちょんとボンドをつけて、あまり動かないように止めています) もう一味、と思い、グラシンで紙を包んでいるのは「4、こおりの下、薄片世界」と同様。
9 赤いろうそくからできた乳白
ともかくなんでもちょっと気になったものは拾って作品に使ってみようという気になると、いろんなものが引っかかってくる。これは別作品のプリントアウトを切り抜いて残った枠の方を使った。そのプリントには赤いろうそくのロウをしませてみたのが、このうす桃色。ロウで紙が透けるのでそれをグラシンでサンドイッチして、脱脂綿(ものすごくよく使う素材)でアクセントをつける。脱脂綿は、表面に光があたればより白く輝く光になるし、裏からくる透過光なら逆に少し影のグレーになる。この変化の感じが大好き。 この作品では、カマンベールチーズ(じゃなくて本当は馬蹄形のやつ。検索した。「バラカ」っていうらしい)のふわふわの白カビも思った。
10 スイレンの池を泳ぐヘビ
瞬間芸を大切にしている。思いついたその嬉しさとか、瞬発力のままにやることには間違いがない。「膜」ということに興味がある。網戸越しに風景を撮る、その網戸に雨が降りかかって水滴がついてる膜になってる。そんなところを撮っていたら、脇にあったガラスの花瓶が妙にきれいだ。思いついて、半分水を入れて、口にiphoneを当てて、雨上がりの庭を歩き回った。なんかいいな!って思う色や形になったらシャッターを切る。30分くらいとても楽しい時間だった。そこから生まれたのがこの3点(10、11、12)。 プリントアウトは半紙。書道用品のお店、キョー和に行くと、様々な半紙に墨を塗ってにじみ具合を試せる。かな書道用は、薄くてすべすべしてにじみが少ない傾向。漢字用はざらっとして筆の止まりがよく、滲みは多め。だがそれぞれの紙でニュアンスが異なる。現代生活で普通に手に入る、洋紙とは違った領域の紙にわくわくを感じるのだ。薄く儚い、柔弱な美。そして表面にとどまらず、染み渡って裏抜けする、天然の美。美を連発しちゃう。作品化しようとすると、柔らかすぎて難しいのだが、この「アクリルケース」に閉じ込めてしまえば、手と目のすぐ近くで楽しめる。 この最初の一作がとてもうまくいった。レモンイエローというか薄黄色のイメージは部分的に切り取った寒冷紗を何枚も積層して、とても軽いのだけれどゴブラン織風の雰囲気もある。綴じる糸の黄色と背のヘビ革も響いて、タイとか熱帯雨林の爽やかな霧の、桃源郷的気分を感じる。(といいながら、タイトルの状況を体験したのは、25年前の石神井の三宝寺池......)
11 緑、シャガール、消えた恋人
手に入れた写真のイメージをプリントアウトしたら、こんどは机の上でいじっていく。様々な素材を重ねて透かせてみたり、切り抜いたり、折ったり。グラシンの帯を折るとその透け感で、シャガールの初期の叙情的な絵の、折りたたまれたような人を思い出した。庭を歩きまわって色と形をキャッチするように、机で素材をさまよって、急に何かがぴたりとくる時を待つ。表にグラシン、裏にややごわっとした寒冷紗を持ってきた。 12 紫の水、波濤、山々 インクの残量が減ったからなのか、緑の庭を歩いたのに、紫の強い絵になってる。そして、他では合わなかった、網戸のグレーの網がぴったり。できるかぎり、起きてきた状況を利用しようとする。今しかできないことの中で何かをすれば、それは唯一無二。再現性がなければないほど価値があるんじゃないか。というわけで、うまくいかなかったプリントとか大歓迎。
13 迦陵頻伽(かりょうびんが)
紅孔雀というサボテンの花の、この濃いピンク?マゼンタ?赤紫?はなんとも言えない色をしてる。光を放つ感じ。作品に使う時も、色を強くしたくて、紙にプリントアウトした上に、OHPフィルムにプリントしたのを上下反転や左右反転して積層した。羽やほぐした絹糸で前景を作って奥行きを出す。(実は、この羽も加工している。そのままの羽は空気をしっかり捉えるために、透け感は少ない。近所でガチョウの羽を拾った時、ちょっと汚れがあったので、ハイターで漂白してみることにした。すると泡が出て、羽を一体化させている微細な毛が溶けてしまってこうなった) 裏面は黒の色を深くしたくてこうやった。黒のパンチング板をスキャンし、それを普通紙とOHPフィルムにプリントして重ねた。普通紙の方は立体感をつくるために一度くしゃくしゃにして広げている。 サボテンの名前に入った「孔雀」や色の効果を出したくて入れた羽から、どうしても爬虫類、恐竜の面影を含み込んだ鳥を思い、迦陵頻伽と名付けた。
14 黄色の夢幻界(きいろのむげんかい)
黄色のサボテンの花は、雌しべが印象的な赤。接写すると、色の世界に迷い込んだように陶然となる。紙にプリントすると、実際かよりはかなり落ち着いた、クロームイエロー的な色に。表裏に同じ花の別の写真をプリントして、表にはたんぽぽの綿毛の写真をOHPフィルムで重ねた。もわーっとした影や冠毛の中心のドットが知らない色彩世界へ誘う。実物のたんぽぽの冠毛種子も加えてニュアンスを出した。冠毛は飛ぶためだろうけど、眺める人間からすると、光でもある(たんぽぽの冠毛種子だけではやや薄い感じになるので、ガマの穂のガマの冠毛種子も加えている)。 よく見ると小さい種が見えるのがわかるでしょう。裏面は本当に単純に花の接写をプリントしただけ。(密かに、ずっと、好きな、フォーレのアプレザンレーヴとか、ルドンの絵なんかを思い出す)
15 Shall we dance?
寒冷紗のきれっぱしを、ぐっと引っ張って変形させる。なんとも言えない形ができて、綺麗だな〜と思う。糸の一本一本がなんか生き生きする。そこへツルシノブの茎の天然のカーブを響かせる。背景は黒のアルマイトのパンチング板の表面を削ったものを入れる。裏面は、草原の写真のOHPフィルムと和紙。
16 跳ねる馬的動物とポーズをつける気取る人
麻の寒冷紗は、文旦の種の皮をプレスしたのを頭にして、動物や人みたい。組んだ竹に古びた針金でとめた。裏面は、取り壊される団地の打ち捨てられたジャングルジム。半紙にプリント、ロウをしませてよくもんだ。真ん中を破ってめくって、竹を見せる。文旦の種は、サモトラケのニケの翼のような形をしていて、色も綺麗なうす黄色をしている。お気に入りの素材なのだが、なかなか使いどころが見つからない。平に潰せば使えるかな、とだいぶ前に作ったものの、置きっぱないしになっていた。ここで初登場。動物は何か古い中国のものを思わせる。
17 通奏低音紫黄(つうそうていおんむらさきき)
この製作が佳境に入って、たくさんのプリントができてくると、何気なく置いたものが美しい効果を出してるのを発見することが重なった。好きなものを集めて、それをプリントして重ねると、別の好きな色が偶然のように現れてくる。インクの残量不足で出た紫色を生かしたくて、カラムシの押葉を下に入れたり、なんとなくプリントしたヤイトバナの中心部の濃いエンジが効かせ色になったり。まとめは実物である、わらびの押葉。若葉を強圧でプレスして、透明感が出ているもの。(これは製本教室の利点だ。強いプレス持ってるから) 一番背後には細かいパンチング板。このドットがとてもいい効果を出す。この効果を邪魔しないように、裏面にはグラシンの螺旋折を加える。持って透かして見るとすごく表情が変わる。
18 ふわわたげ
冠毛種子が好きなのはなぜだろう?
たんぽぽの綿毛は身近であたりまえのものだけど、接写で世界に入り込むと、ふわっとした綿色、整然とした左右対称放射状の幾何学的姿、それらが重なってできる宇宙のような奥行き感に心を奪われる(しかもそれらはこれから空を飛ぶ!)。色に奥行きを感じる、ってどういうことだろうっていつも思う。絵具で描けないもの。映像に映らないもの。自分が動くか、まわりが動くか、両方か、どっちにしても、動きの中にしかない、それだけを取り出せない色。 そういう感じに憧れて、プリントしたフィルムを重ねて、脱脂綿も重ねてみる。実際にこの表紙にあるのはわずかな奥行きだけど、微細な立体構造は、絵の具に出せない色を作る。背景にある0.5ミリ厚の細かいパンチング板は、真正面なら透け感を出し、角度が変われば向こうが見えなくなったり、の変化刺激を目に与える、あくまで動きがある中で。 紅葉の山あいを歩いていく時の、もみじの色は、重なった葉群の向こうにあるまた葉群、そのまた向こうのもっと濃い陰の色が、歩くに連れて変化し刺激になることで「あざやか」を作る。干渉縞とか、倍音の響きにたとえられる効果。あんまりみんなそういうことを言わずに、紅葉の写真やビデオを見て満足してるみたいに感じる。 裏面にはグラシンを15ミリ幅のテープに切って五芒星の角度で折ってみた。背景が暗くないと、グラシンの重なり効果が出ないので、パンチングボードは黒く塗った。暗い色になることで、裏から見える効果も変わる。
19 こかげ
光と影は、気になってる。どちらかというと、影の中にある光に対して惹かれるのかな。 これは実家のお気に入りの場所、玄関の鉄平石のスペースを真昼間に撮った写真を使った。モッコクやモチノキやシャリンバイの木陰が石の地面に映っている。写真写真した感じを薄めるために、佐藤友泰さんの漉いた三椏の紙を被せている。多用するグラシンに少し似ているけど、雰囲気が全然違う。その雰囲気と呼応して着物の糊染めの型紙や細かい真鍮の金網の金色、コナラの新芽押葉を置く。「風」とか「吹き寄せる」とか、そんな言葉が出てくる。裏面はプリントした半紙の裏そのまま。夜に部屋の中で豆電球を背後に置くと、ひるひなかの景色が、暖かい思い出のようで、なかなかいい。
20 段ボール月夜(だんぼーるづきよ)
段ボールは20年来の愛好素材。持っている構造が作り出す効果に相変わらずやられている。この作品ではダブルの段ボールを2ミリ厚にスライスして並べて貼ってシート状にしたものを使った(この貼り合わせは津村明子さんにやってもらったな)。スライスするときに取り方向を変えると波のピッチが変わったり、斜めの面がこちらを向いたりと変化がつく。ランダムに並べて、縦縞の規則性の中に揺らぎを作って楽しむ。あとは、和紙の月とか銀箔とか墨染めの半紙とかコナラの新芽とか、ごく俗っぽい、ありがちな取り合わせ。他の作品と同様、裏もアクリルで透かすのも考えたが、うまくまとまらないので、これはシンプルに航空ベニアの1ミリ厚を、白木のままで。(レーザーカッターを使うと、ある程度異素材でも同じ形の切り抜きが可能なのでこういうこともできる。だがベニアは焦げがちょっと問題だった。マスキングテープでマスクすればよいのだが、レーザーカットも大量にやるとかなりな手間を感じる)。背は漆を使った高級牛革。段ボールというチープな素材との対比というのか同居というのか、そこらへんも自分がやりたくなることの一つ。
21 も、在れ!
航空ベニア0.6ミリ厚を、アクリルで挟んだ作。福本ミカさんから教えてもらった、石川金網さんの微細な金網でできるモアレがとても面白い。このモアレも構造色っていうのかわからないけど、重ねる角度でいろいろな縞が見える。グレーはステンレス、金は真鍮の金網。ステンレスの方を前に持ってくると縞がはっきり見え易い。紙は佐藤友泰さんの三椏紙に細くななめの交差で水を塗ってデコボコをつけたもの。黒は竹尾で買った洋紙だけど、名前忘れた。(なんとかカイゼル?) 裏面は三椏紙と墨塗った半紙のちぎり丸で逃げる。四角の中に、丸があれば、それだけで私の装飾ごころは満足するところがある。玄米ご飯にお味噌汁、それで十分、的な。まあ、墨はかすれて塗ってるし、重ねたずらしや角度や配置をいろいろにいじってるから、ネギと豆腐だけの味噌汁じゃなくて、みょうがやシソは入れてる感じかな。
22 イガイガボール
これは、たんぽぽの種のくっついている真ん中部分(花托っていうのかな?)に注目してやったもの。夏らしく涼し気な、透け感を強調したものになった。フィルムの上の寒冷紗の重なりや、わずかにあるアルミの地色が見えてるところが好きに感じる。裏面はもろアルミ色のまま。アートドリープという名の半透明の紙と寒冷紗の組み合わせ、表のイガイガが透けて見える感じとかが気に入ってる。あと、自分はへび革が好きなんだな、って改めて思う。
23 水の跡
今回最もシンプルなやつの一つ。絵の具を混ぜた水を、ノートの紙にぐるぐるとつけたもの。もちろん色もつけたかったけど、紙をでこぼこにしたかった。紙が水ででこぼこになるから、低いところに絵の具が溜まって濃くなる。そうなるとなんか自然現象感が出る。裏面はアルミパンチのまま。紙のでこぼこが反映されて、見る角度によって独特の影ができる。そこが言いたかった。言い切れたか、は......うーむ。 そう、僕の当初の展示イメージは「紙と水」だったのだ。紙、特に洋紙はすごくきっちり四角くて、オリジワ一つない工業製品然としたものだけど(あ〜真っ白い洋紙って「あってはならない」とかそういうフレーズが聞こえてきちゃう雰囲気〜)一度水を浴びればぐにゃぐにゃでこぼこに変形し「あなた、自然のものだったのね」とその本性を現す、という感じを遊ぼうとしていたのだ。製本教室をやっていると、紙と水分(糊)は伝統的製本では避けて通れないテーマ。深くて面白い。一方で、そうなってはならない、反りやでこぼこが、もしかしたらこれこそが面白いんではないの?ってだんだんに思うようになってきた。 ここでは、0.8ミリ厚のアクリルの隙間スペースに、0.5ミリ厚のアルミ板に押さえられて閉じ込められてる、0.15ミリくらいのOKフールスというノート用紙のでこぼこだから、数値的にはきわめて制御されてしまってるけど、それでもでこぼこはわかるよね。(パンチング板も、このように妙なあぶり出しをしてくれる本当に魅力ある素材だ。大きな立体的「膜」だと感じている)
24 れじかごかげ
一番最初のころにできてた作。OHPフィルムの写真は、家で使ってるスーパーのレジカゴ(っていうの?)に当たった日の光でできた影。写真撮ってみたらなんか超かっこよかった!(どうってことないもので超かっこいいって大好き) 黒っぽいものの積層で、色のリズムを作った。深い黒の和紙、墨を塗った半紙、ダイヤモンドやすりで削った黒アルマイトのパンチング板、グラシン。 裏面は、25ミリ幅のグラシンをランダムに折りたたんで雰囲気をつくって、ぶどうのツル先をあしらった。このツル先は10年以上前に教室生徒さんにもらったもの。黒アルマイトを削ってるのは、パンチ板の脱脂のトラブルで表面にこびりつきが残ってしまったのを削って味を出した。アルマイトもこびりつきも、すごく硬くて、ダイヤモンドやすりでも削るのが大変だった。その時は困ったトラブルも、こうしてうまく利用できてみると、真にありがたいな、と思う。(トラブルは起こそうと思って起こせないのだから。そして、それがなかったら、これは生まれなかったのだから)
25 すぐねいる
横になるとすぐに寝入った。夢にはカタツムリがでてきた。濡れた鉄平石のところを移動中のカタツムリを撮った写真なのだが、OHPフィルムにプリントして、黒のパンチング板の上に置くと、闇に沈む。それで、そこだけうすーく脱脂綿をいれて浮き上がらせる。 裏面は折りすじを金属ヘラで入れたグラシン3本を整然と重ねた。絣の雰囲気が出たかな。この作は、中スペースを作る枠に透明アクリルではなく、黒のベークライト板を使っているのと、背も黒なので、闇や夢の感じになったかな。
26 白蝶
これもシンプル。粗い一ミリ径のパンチング板と、OHPフィルムに蝶と花の写真そのまま。加えたアレンジは、蝶と花の後ろに、多分、宇陀紙? 米粉や白土が入ってそうな和紙を入れたこと。白い蝶は写真を拡大してみると、なめらかな白の表面がとても美しい。その感じを別素材で読み替えると、この和紙がとてもしっくり来た。 表紙は二人が出会っているところ、裏表紙は残って静かに咲いている花......背景のパンチング板の荒さで写真感が薄められていて、蝶と花のところだけスポットを当てたようなリアル感がうれしい。そのリアル感は写真の蝶のリアル感だけでなく和紙の表面の存在感も入ってのもの。 裏面は、3グラムという極薄の典具帖的な紙のドットを整然とならべて抑え気味の表現にした。ポンチで型紙をつくって、それにはめるように貼っていけば、整然とならべるのはそんなに難しくない。
27 ポプラのもふもふとサルノコシカケ
北海道大学のオープンキャンパスで娘が拾ってきた、ポプラのもふもふ。そんなの拾ってどうすんの、と思っていた私。が、今回使ってしまった(血は争えない......)。ガマの穂綿、仙人草の種、もちろんたんぽぽの綿毛も、単にチャック付きビニール袋に入れてるだけで魅力的なものがいっぱいある。 今回のアクリルの表紙で、一つはそういうのを作ろうと思っていたけれど、やはり「それだけ」だと、ただ入れました感が強すぎて踏み切れず。何か主役を、とガラクタいれから探し出したのがこのサルノコシカケ。傘裏の表面をみると多孔質になってるのがわかるのだけれど、縦に切ってみると、この多孔質のところは微細な管状になっているらしく、美しい筋が現れる。白い絵の具を薄くぬると、それがもっと浮かび上がって見えてくる。そのことは、ずいぶん前に実験済みだったので、それを利用。2ミリ厚の棒を2本置いて細工用の薄い小さなのノコギリを使ってスポンジケーキを切る要領でスライスを作る。綿は収めるのに苦労するかな、と思ったけれど、楽だった。繊維がとても短いので余分を取り去る時や押し込むとき、他のところが影響されにくい。(脱脂綿やさらには化繊綿だったらひどく大変だったろう。)
28 サイダー水の泡
黒の寒冷紗を使った。水彩で色付けた紙は、「23、水の跡」と同じ時に作った。紙が凸凹なので、寒冷紗と、紙に映った寒冷紗の影との間にモアレがでるのだが、薄いスペースに押し込めてるので、外で試したときほどの効果ではない。すべての努力も水の泡だ、というインヴェイン感が夏の脱力でここちいい、っていうほどではなく、爽やかな感じにうまく仕上がったと思う。
29 さいた+さいた(さいたたすさいた)
蕾がたくさんついたけど、まさか6ついっぺんに咲くとは思わなかった。たくさんついても大概は蕾でおちてしまうから。全く同じ写真を回転させて表紙と裏表紙に使った。 ディヴィッド・ホックニーが写真でやってたのに似せた効果にしようとおもって、プリントしたフィルムのしたにランダムな四角のティッシュを並べたが、ちょっとごちゃごちゃしちゃったな。寒冷紗の切り落としの筋も使ったりして、ちょいとやりすぎ、こまかすぎな感じ。サボテンの花の数といい、やったっことといい、ちょっとトゥーマッチぎみ。
30 こもれび
今回、最初にこもれびを撮ったのは、揺れる竹からの西日が、トイレのドアに映ってさざめいていたとき。トイレのドアの木の色はそれほどそそられなかったので、ベージュの製本クロスをそこにぶら下げて、写真を撮った。こもれびはなんで丸いんだろう。ずっと眺めて飽きないし、さらに動画とってスローで見たりすると、また頭がぼおっとなる。光る丸は、細かい金網を重ねたモアレ。裏面はパンチング板を黒く塗った。一番細いテグスを、ただ入れてみた。目触りの効果のためだけの装飾。
31 せいれいき
薄い膜だけ感が一番出た作かな。 最初のカタツムリと全く同じフィルムを使った変奏。精霊みたいのが集まってるイメージにして、膜感は、白と黒の寒冷紗で出してみた。裏面は角度によってモアレがよく見える。夏は涼しく、清冷来。
32 竹越し荒れ模様(たけごしあれもよう)
この組んだ竹はもともと汚していい色をつけてある上に、ボロボロになるくらい時間も含んでいる。で、なんとなくいろいろできない雰囲気。でも変化はつけたくて、アクリルの方に黒のスプレー塗装をしてみた。裏面はステンレスの金網を切り、なんども登場してるこもれびのOHPフィルムを入れ、細いテグスも加えた。入れ込みすぎで、表裏のアクリルがぼこぼこしてる。中の素材の効果より、その反射が一番面白いかもしれない。
33 和紙表紙 かぶら
仙台在住の生徒さん鈴木まどかさんから提供された、潮紙(紙漉き人は塚原英男さん)の楮和紙を使った作。まどかさんは、和紙に使うネリをつくるトロロアオイを育てたり、楮を収穫して靭皮繊維を取り出す作業をしたり、地場の工芸や伝統的な技が盛んになるように活躍している。今年の紙ができたから使ってみてね、と今回も。 和紙を紙衣にしたりするのに、まずはこんにゃく糊を塗る。それから揉んで、というのを繰り返す?そんなによく知ってるわけでもないが、前々回の個展の時も、まどかさんは、蔵王白石のカジノキの和紙を提供してくれて、その時はこんにゃく糊を二三回塗り、揉んで紙を下ごしらえしてから使った。(「52、山茶花」がそれです) 今回は、紙が白かったのもあり、こんにゃく糊に墨をすって混ぜ、それを2回塗り重ねて、揉まないで折り皺をつけてみた。そうやって一応毛羽立ちは防がれた紙を寸法に水を塗って裂いて、同じ墨入りのこんにゃく糊をベタベタにつけて、アクリルに張り込む。この作業は製本に類する作業と違って、直接ぬるぬるをなでなでするので、なんとも言えないうれしいさを感じる。まる1日くらい干すとしっかり乾き上がって、ピンと反る。こんにゃく糊は接着力が弱いからアクリルには全然着かないので、手で丁寧にたわめて反りをとることができる。アクリルでサンドイッチして針を使って貫通穴を開け直せば、綴じられる素材ができあがる。これ、かなり応用が利く技のような気がする。 裏面は乾いた後めくって、黒紫の紙を差し入れてあるので、こんにゃく糊で貼った時のままの毛羽が見える趣向。かぶらのポーズをした、コナラとカラムシを入れた。
34 和紙表紙 ベニア
表は薄墨染めの和紙、裏面は1ミリの航空ベニア。無装飾のシンプルなもの。和紙の中に入っているアクリルはどこからもわからなくなり、完全に黒子の存在。
35 和紙表紙 カラムシ
表は薄墨染めの和紙、裏面は他作品の枠のサイズに切った黒紫の紙を入れてその上に大きなカラムシの押葉を入れている。とかげ革もグレーで、紙、押葉ともの天然っぽい灰色の競演。
36 和紙表紙 寒冷紗
表は薄墨染めの和紙。この作では、裏面は、こんにゃく糊で貼った時のそのままを見せている。緩やかなカーブに切った、しっかりめの寒冷紗は、端を和紙の毛羽の下に入れたり、外にしたりして、多少の前後感を出している。また二重にアクリルが見えることも少し立体的な効果になっている。だが、これはまだまだ、とてもいろいろやりようがある感じがし、試したいことが山ほど出てくる感じ。 この作が、今回作ったアクリルサンドホルダの中で最後のものだけど、こんな展開を見せるとは全然予想していなかった。事実は小説より奇なり。というよりも、生きていることは常に前例のない道を歩いてるのだから、予想してない展開にしかならないのだ。アクリルを芯にして、こんにゃく糊で和紙をくるむというのは、なんかすごく可能性がある気がする。
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