うちの子、今、アメリカに行っちゃってる。
きみがちっちゃいころ、
駐車場の砂利の中から、ガラスの破片をずーっと飽きずに拾って、
ぼくに持ってきては、
「ダイヤモンド。」
と言って、渡してくる。ぼくはそれを、黒いお財布の、小銭入れのところに、どんどん貯めている。
ダイヤモンド。。。
ぼくはさ〜、それがさ〜、急に今、ものぐるおしく、いとおしく感じる。
夜の道を一人であるいていると、なみだぐみさえする。
ぼくの今「作っている」と称するものは、きみの拾っていたガラスのかけらのようなものだ。
価値がなく、ちょっと綺麗。
そこに、言葉っていう魔法の粉をまぶすと、急にかがやき始める。
きみの発する、ダイヤモンド、っていう言葉は、現物のダイヤモンドと全く比べ物にならない、いとおしくうつくしくいたいけなことば、だ。
きみのガラスのダイヤモンド。
ぼくの作るなんの社会的価値のないものもの。
その物に、言葉をまぶしたら、変わる。
立体物にまぶして変わるのだから、
ぼくのやってるのは、
四次元的表現?
いやいや、すべての彫刻も、タイトルというものがあるのだから、それは四次元的表現でしょう。
ぼくは、はげしく、ものについて語るのだ。
変わらないと思われてる「形」が変わっていまう。
もう、語りを聞く前の感覚へはもどれない。
魔法の呪文なのだ。
こころのうごきがそこにある、ものもの。
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