先週、ようやく、個展後の、お買い上げ作品の発送、お礼状の発送、が終わる。
水曜日に、教室を始めた時から約19年間もの間、お世話になり続けた生徒さん、遠藤博さん宅へ伺う。博さんは、昨年末に亡くなった。
博さんは三年に一度の教室展には6回すべて出品いただいた。私と博さんは、少しの中断はあるものの、19年間、毎週毎週あきることなく、教室で顔を合わせて2時間半を過ごしていたことになる。あらためて「こんなに長い期間!!」と驚くし、ありがたく思う。しかも、それがほとんどすべてすごく楽しい時間だった。(それは、楽しい趣味なんだからその通りなのだが、苦しいこともあった。苦しかったのは、博さんが頼まれた友人作家さんの版画集を「ちゃんとした」位置に配置しながらページをつくる作業。これ多分、二ヶ月くらいかかった。あれっ?楽しいことをやりに来てるはずなのになんか仕事化してしまってる?というようなことを、ふとこぼされていたような記憶がある。こういういわゆる「ちゃんとする」のには、機械的マニュアル化とその上手な応用という、特殊技能が必要となる。私はそういうことも結構好きなので、教室をやっていられるのかもしれない。)
日本には「お稽古事」っていう文化がある。アメリカのブックアーティストの友人Sheila Asatoさんと話していて、あらためて自覚させられたこと。彼女が言うには、ミネアポリスでは、ともかく、教室の営業が大変だという。数回やったら、もう出来る気になってやめてしまうから、常に宣伝をして新機軸を打ち出さねばらないのだという。その点、私などは最初こそ少し宣伝したが、あとは口コミまかせ。そして運良く本が出版できたこと、ホームページをすごくちゃんと作ってもらってること、などはある。
「手製本」っていう、マニアックなことがまずは良かったのだと思う。(そして「骨盤」のことを書いてるブログを読んで来ました、という生徒さんもいらした。製本で骨盤?でさらにマニアックになり、そういうことにピンと?くる変わった人が集まってくる。。。。。)
教室も少なければ興味のある人も限られているから、探す探されるが易しい。
そういった事情もあって、気に入られたらかなりの長期にわたっていらしていただけることも多い。
表側に見えているのは、知識とか方法を伝えてその代償としてお金をいただいている、ということなのだが、実は逆に流れているものがある。(電子が流れるのの説明と似てる?電流の流れと電子の流れは逆ってやつ。最初に電流という概念を作ったためにそうなっちゃったんだっけ?)生徒さんの経験とか知恵とか身体的工夫みたいなものが、わたしの感覚に流れ込んでくるのだ。それは頭と同時に体に入っていくので、すみやかに、他の生徒さんへの対応にも反映されることになる。自分は、個性を持った「ハブ」というのか結節というのか、神経の枝分かれのようなことをしてる感じ。表で動いているお金は、そんなわたしを生き延びさせるための社会的エネルギーだと感じる。そういうのが、めんめんと続いている日本のお稽古事文化なんじゃないだろうか?(奥の細道で、旅していく芭蕉の雰囲気とかにもそれを感じる。)
初期の教室には、博さんはじめ、ものづくりの経験豊富な人たちが、特に多かった感じがする。そんな人たちが、これで本にしたらどうなるの?という興味でやってきて、わたしにいろいろなことを投げ込むので、わたしは、はりきって、これでどうだ!って解答を出す。あるいは、問題を整理していっしょに実験をしてもらう。
そんなふうにして、毎週毎週、新しい経験を積ませてもらい、実験や工夫を、自分も生徒さんも楽しんで、私は成長させてもらった。
博さんの数々のものづくりは、基本的に独学。習いはしたとしても、最初にあるのは、素材やイメージそのものと向かい合うことだから、他の人がこうやってる、この方がいい、というのは、まあ参考程度にしかならない。だから、わたしが一応自分では理路整然と整えたつもりの方法も博さんには入らない。整然とした理屈が、表向きは入らない。だけど製本は出来上がる。私にはわからないところでちゃんと咀嚼されてる。出来上がった本は、この本の寸法ってどうやって決めていったんだろう?って私が思うことがほとんど。わからないけど、なんとなく出来上がっていて、持った時の感じが、人が作った感じっていうか、しっかり感、量感、収まってる感じ、がある。紙と糸と革とボール紙なのに、粘土みたいな可塑的なもので作ったような感じ。つくづく面白いな〜、って思う。(私は教えることができてないとも言えるけど、できてるとも言える、この感じも面白い。)
ルリユールとか工芸とか、そういう観点からみると、狂いがあるとか曲がってるとかというところで減点になっていってしまうであろう、もの。
だけど、久々に触らせてもらった、赤い革に象牙のかわいい天使をつけた本は、重さといい、革のしっとり感といい、象牙の天使のツヤ、といい、なんだか、こころのまんなかが、ぽっと明るくなるような感じが、手から伝わっちゃうのだ。
そうね、こういうのを触ると、「ちゃんとつくる」とか「きちんとつくる」とか「いずまいをただす」とかってどういうことなんだろうかねえ、と思うよ。
言葉の自然習得でもそんな気がするんだけど、なんだかわかんないけどできてるとか、そういうことなんじゃなかろうか。
多分、博さんに、どうやって製本するの?って聞いても教えることができないんじゃないかなって思う。そういう問いかけをしたことはほとんどなかった気がするけど。
自然にできるようになるってことは説明ができないこと。
私は、どのように製本するかを理路整然と説明できるつもり。でもべつに面白くはないし、そのまま飲み込めば機械的につくることはできるようになるかもしれないけど、それがどうした?って感じ。
「自然にできちゃう、できるようになっちゃう」ことを、理路整然とではなく、でもわかりやすく説明できたら、すごいし、いいな、と思う。(あたりまえで普通なんだけど芸がある感じだな〜。理屈じゃなく、感覚で説明するのかな?)
ああ、それにしても、博さん宅は、同病の私の想像どおり、多種多様な「もの」に満ちていた。革をごっそりと引き取り、プレスとかかがり台とかも。「もので作ること」に憑かれた人たち。
どうして、「もの」に憑かれる人がいて、素材としての「もの」になんにも感じない人もいるのか、人間って多様だ。
そして、もので作ることに憑かれてしまった人は、健康のために身の回りにものを置く必要がある。いつでも手を伸ばしさえすれば何かを作ることができる状況は必須。一方、たまりすぎないようにする工夫も必要。たまりきって、置き場所がなくなると、新たなものを持てなくなる。その止まった状態(便秘みたいな感じ?)はストレスだ。だから、同じ「もの好き」の人にそれを回すなりして、つねに流動しているようにする必要がある。(多分、お金も。)前に、断捨離、ってちょっと思ったけど、もの好きにはそれではちょっと違うんだよね。多分。何に欲を持っているか、は、人によって違う感じがする。
だから、8月の中国講習からもどったら、9月にやることの第一は、この博さんのものを、教室のみんなに循環させること。その場所として、はじめてるようでいてはじめられていない「まちライブラリー」をまず、教室の生徒さん周辺を手始めとして機能させていくこと。素材と「まちライブラリー」がどう結びつくのか、よくはわからないんだけど、まずは意味不明かもしれないけど、イメージを語る。
こういうふわふわして実際はないものを、なんかよくわからないけど気になるね〜ってことを、もわ〜んと出すのが、言葉の大事なやくわりな気がする。
で、言ってしまったことは、結実する。でもそれは、思いもよらないことだったりするのが実に面白い。先導しているような「言葉」というもののあり方も面白いし。
それにしても、博さんに学んだことが大きい。(見えないルートで作る、ってことかな?終わったばかりの個展ではそれを試した。アート的なものを「作る」って本来そういうことだよね、と思った。)
現代は、理路整然とできること=ちゃんとしてること、に満ち満ちていてそれを頑張ってやらなくちゃいけないという集団強迫観念症になっている。もうそれで行けるところまで行ったんだと思う。だからもう疲れきってる、本当は。それでようやく、理路整然じゃなく、なんか知らないけどできちゃうものの方にすこ〜しずつ歩みよってる感じがする。
べつに時代に呼応してるんではないけれど、最後の何年間か、長崎のトンチンカン人形にとりわけ惹きつけられていた博さん。銅版画で、エングレーヴィングというすごくきっちりした手法を主な表現手段にしていた博さんは、年を経るにつれて、本源の「彫りたい」とか「手の中からほわっとでてくる形」みたいなことにどんどん移行していった感じがする。(私は、ものすごくちゃんと電気機器などの認可をする役所の仕事をなさった後の定年後の博さんの「楽しい」部分だけに付き合わせていただいたのだが、たまに「ちゃんとした」部分も感じることもあって、それもまた楽しかった。)
伺った時に奥様や娘さんが、楽しそうに博さんのことを話すのが嬉しい感じだった。遺影はヒマラヤに行った時の満面の笑み。リュックを背負った紐も消さなかったとのこと。
「素材を手に入れた時とか、なにしろもうニッコニコだから、その笑顔を見るとね〜、子供を何人も育てた感じ。」と奥様がおっしゃるのが笑ってしまった。
去年の教室展のときに教室の希望するみんなに彫り物の額をくださった。
私がいただいたのは、これ。勝手に博さん自画像と思って教室にかけてる。
(好奇心にくりくりとしてる目と、ちょっと笑った口元。)
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