これについて書きたいことは、いろいろな面がある。
●人気について
まず、ちゃんと受講者が10人集まってすごいな、ということ。(最後の2週間?くらいに、エミリーは、wechat(中国のLINEに相当するもの)などで、私のウェブサイトから年代順にコピペして、自分の日本での受講体験記も載せて、がんがん営業をかけていて、これで最終日に受講希望者がキャンセル待ちになったそうだ。)
私自身の人気に驚く。とともに、ウェブサイトの写真をちゃんと美しく揃えて作ってもらってるのがとても効いてると思う。(栃木さん、上野さん、そしてサイト自体を作ってくれてる小川さん、ありがとう!)
以前「知日」に4回も連載されたのは嬉しい驚きだった。今回講習と並行して12日から22日までやった展示では作品がかなりの点数売れた。ものすごく狭い世界だと思うけど、ちゃんと見てくれる人がいるのは嬉しい。普通の「アイドル」の何億分の一(あるいは何十億分の一?よくその比がわからないけど)だろうけど、自分もアイドルだな、と思った。
手製本はこれから盛り上がるんだろう。 通訳さんは、ここに来てる人たちは、中国での手製本のパイオニア、みたいなことを言っていた。(敦煌の近くとか、大連とかハルビンとか、ずいぶん遠くから来てる。すでに製本教室をやってる人、大学のデザインの先生たち、手作りの手帳をネットで売ってる若者、編集者、美術大学の学生や卒業生などなど。)
エミリーの挨拶で、講習開始。
●カリキュラム
去年、エミリーが来た時にやったのと同じのを、という希望だった。これは、うちの教室の入門編カリキュラムとしてるもので、フランス工芸製本の革装のやりかたを布でやる。速い人で30時間かかる。
エミリーが「これをやって〜」と希望をする、ということは、そのカリキュラムは彼女に満足を与えた、ということだと思う。しかし、これは、特に何になる、というネタではない。そして、10人でやるとなると大道具をどうじゅんぐりに使うかとかあるので、アレンジを加える。そうすると、ますます「何になるというものでもない」感がいやます。
そもそもが「からっぽ」なネタなんだ、と帰国した今になって認識を新たにする。まず、非常に大切にしたい文の印刷物を、細心の心遣いで装本に仕立てる技法なのに、中身は単なる白紙。文に対する作法はすべて抜け落ちる。フランスという伝統息づく場所では、現実に生きている技法だろうけれど、なんの伝統もない日本(や中国)で、私は全部を抜け落としたもの教える。
私は、こういった「がらんどう」なものを入門編カリキュラムとして20年間やり続けてる。
中国の人達に、どこが大事で、どうすると綺麗にできるか、熱心に説明するし、彼らも熱心に聞く。
紙や糊や刷毛やカッターナイフの扱いについて、大事なことばかり。
前に、私の教室で作ったこの物を、留学先のイギリスで先生に見せたら、非常に意味不明、という反応を得たと言ってる、元生徒さんが居た。
「なんちゃって西洋伝統製本ツアー」なんだ、と言ったりもしてみた。
内容を学ばずに、外装を学ぶ。
逆転してる、主と従。思わぬいきさつで、コンセプチュアルになっちゃってる。
やり方だけを学べば、内容について自由がある、のかな?
●いったいエミリーの工房はどこを目指すのか
これはそのまま自分の工房についても言えるのだけど、私はもうはっきりしている。そこにあるありったけを使って、人のこころに訴える最適なものを、自由な発想で作れる場所。
今回、エミリーの場所は、この入門編カリキュラムをやるにも、装備は十分ではなかったので、現場で考えながら、試しながら、私のそういう状態を見せることで進行した。装備とか事前の打ち合わせでちゃんと仕込んでおくべきなのでは、というのが当たり前の考えなのかもしれないけど、「あるものでなんとかする」とか「起きた状況に現場で対処する」というのこそが面白いというか、自分の本質だと思うので、これでよし、と思う。
使いものにならない私の中国語とエミリーの日本語、しかたないので英語でやりとりするけどそれも苦しい中で、画像で何あるか何を送るかなどのやりとりをして、まあ、「勘」で、これで終わるだろう、という準備をし、無事やりおえた。
●3日目くらいに熱が出たこと。
3日目朝から「まずいかもな」という体調で、昼を回ると頭がズキンズキンとなり、頭痛もちではないので完全に風邪、熱、だな、という感じ。
カラオケの話題が昼にでて、3時の休憩では大声で歌を歌った。それで少しはましになるかなとの思いもあったが、全然なので、6時半に夕食食べないで帰らせてもらった。
ホテルの下のコンビニでともかく水をたくさんとなんか風邪に効きそうなお菓子、、と思うと生姜と黒砂糖のお菓子が目の前にあったので、これだ!と思って買い、熱いシャワーを長く浴びて、菓子を食べて水をぐんぐん飲んで、布団にくるまる、を繰り返す。
真夜中をすぎるあたりから少しずつ汗がでて、翌朝には布団やシーツがかなり湿るくらいに汗がでて、頭痛は治まっていた。これはいけるな、と普通に教える。が、暑くもないのに汗が止まらず。先生大丈夫ですか?と心配されながら、びしょ濡れになったTシャツを着替えて、昼飯。韓国料理を食べて、またまたTシャツびしょびしょ。もういちど着替えて、午後からはほぼ普通の体調で夜のトークも大丈夫だった。
この後約2週間、旅は続いたのだが、体調くずすことなし。これはとても自信になった。
(あの時点で疲れがピークで体が毒出ししたんだろうと思う。7月上旬の個展、その後始末、中国行きの準備とか、出発間際に3000メートル超えの登山しに行ったり、ほかにもいろいろやることがあり、北京でも家族旅行とも合体してたし、食べ過ぎにもなるし。だから、この時点でリセットする体って本当にすごいな〜と思う。ちょうど家族も帰国したあとで好き勝手にできたのも大きい。今考えるとまさに「ここ」というところで体は調整をかけてきたという感じがする。)
●助けられたのは、中国のフレキシブルな姿勢
ちょっと夕飯長引いたから、よるの開始を30分遅らせよう、とか当たり前にできる。wechatで連絡して。
工程についても、日本でやってるときも 思いついたら工程を変えてしまうことはあるが、そういう態度が全くしっくりくる。
途中で「花ぎれ、編むのを見せてくれませんか?」など要望も入る。もちろん素直に喜んでやる。
終わらないかも、と夜9時まで頑張ってもらった日(2日目)があったり、前述のように発熱で6時半までやったあとすぐ帰ホテルした日(3日目)、夜10時前までギャラリートークした日(4日目)など、とてもスリリングな展開だったけど、ちゃんと予定の本は4日半くらいで終了した。
残りの時間で、くるみ表紙のハードカバーを作り、綴じ付けとの違いを感じてもらうところまでできた。
最近は、こういうことをやりきってくれる自分という動物?に対してすごく信頼がある。 夜遅くまで私がやったのは1日だけだったけど、みんな毎日その時間に2冊目を作って、見せただけの花ぎれを練習でやってみたりしていて、非常に熱心だった。
道具の不足は、人同士の協力でおぎなって、みんな仲良く、いい雰囲気だった。
終了後、みんなで記念撮影。私の左が通訳の王さん。右がエミリー、その隣がカメラマンの健ちゃん。
コメントする