北京で無事製本講習を終えて、新幹線で上海へ移動。
新幹線の切符をとる、など全部、エミリーまかせ。本当にどこまでお世話をかけるんだか、という感じ。
なのに、ホテル発の時間を私が勝手にのばして(所要時間を考え違い、中国、広いな〜)、列車に間に合わなくなり、時間を変更してもらい、さらに駅までタクシーで送ってもらう。
発券しなくてもパスポートで乗れるらしいが、記念になるからと発券窓口も行ってくれ、改札始まるまで一緒に待ってくれ、見送ってくれる。( エミリー、本当に、謝謝、謝謝。)
そして、上海虹橋駅では、 Gokiが待っていてくれる。上記のようなトラブルで、上海着が夜中の12時くらいになってしまうから、待ってなくていいよ、とwechatしたにもかかわらず。
Gokiはこの5月に3日間うちの教室に習いに来た上海在住のデザイナー。その時にヒッポに一緒に連れていったりもした。今回旅行期間が長いため、ビザが必要となり、ビザ申請のためには招聘状が必要。北京のエミリーの招聘状だけだと不安なので、上海の分をGokiにも書いてもらった。
この夜、いくつかある上海の新幹線の改札の一つに、勘で来ていて、私も来てない前提なのに、実際は見回して探していて、先に私がGoki発見。本当に助かる。そして、タクシーでホテルまで同乗してくれる。ほんとに安心でありがたい。もう、謝謝、謝謝。
翌日。
ヒッポのプログラム(ホームステイ+合宿)の始まる夕方まで、ホテル近くの上海動物園を見る。金魚館があるところが中国だな〜というのと、パンダは二匹しかいないのね、ということが印象に残った。室内展示で、世界のカタツムリ展をやってて、7月の個展でカタツムリの写真をいくつか使った私は、なんか縁を感じた。
汗だくでホテルにもどって、集合場所の別のホテルにタクシーで移動して、久々にヒッポの若者達(中、高、大学生)と再会。すでに、3月くらいから何回も準備で顔合わせしてる子達とか、地方の子達は初対面だけどLINEでは知ってる、みたいな感じ。
現地集合、現地解散なので、大阪から3日かけて船できたり、飛行機できたり、私のような合流もOK。
ホストファミリーが順次迎えにきてくれて、ヒッポの活動の説明を、メンバーが随時、中国語に訳しながらする。
ヒッポ歴は13年越えだけど、ステイは2回目の私はドキドキ。
しかも前回のステイは家族4人だったけど、今回は一人。(この点、若者達はすでに約1年のステイしながらの高校留学を経験してる子も多く、もう先輩、大先輩って感じである。)
私のホストファミリーは私の家族と似た家族構成の一家。対面の時、4人がまわりに来てくれた瞬間、あたたかく包まれるのを感じた。この人たちで本当によかった、うれしい!と顔をしっかり見る前に感じた。瞬時にリラックスして、繰り返し真似してきた、中国語で挨拶をしてすぐに一緒にベンツに乗り込んだ。乗るまでも、乗ってからも、お父さんはどんどん中国語で話しかけてくれる。わかることは答える。わからないと、インターナショナルスクールに行ってるお姉ちゃんが英語で言ってくれる。10歳の弟くんは人懐こくてすごくかわいい。お母さんは物静かだけど、本当に気遣ってくれる。
もう夜だったので、そのまま夕食に。静安寺という有名なお寺(繁華街に普通のビルのようにお寺らしい屋根のビルが建っていて、街路に面した1階はお店がずらりと入ってる。それが違和感なのか、境内がないのが違和感なのか。不思議な感じ。)のすぐ近くの、台湾人道素菜というレストラン。お父さん、お母さんは敬虔な仏教徒で、菜食でもある。それもあってか、最初の食事がこのビュッフェ形式の素食だった。これが、今度の全行程中、味としては一番印象に残った食事だった。いままでに味わったことのない風味とか香りが、いくつもいくつもあって、どれもすごく美味しい。北京でも散々いろいろな美味しいものを食べさせてもらって、どれもこれも美味しくて満腹で、すごいな〜中国、って思っていたのだが、追い打ちをかけられた。食べることについてのこだわりがすごいと思う。
そのあと、租界から眺める外灘の夜景(対岸の高層建築のキラキラぶりと、バンバン行き交うこれまたキラキラの観光船がすごい!)を見て、帰宅。
郊外のマンションの上の方の階。地下の駐車場はコンクリそのまま、ドアも錆びてる、エレベータもそんなに綺麗じゃない、のだが、部屋に入るとピカピカつるつるの石の床で、整然と片付いた無駄のない空間。仏教の老師の写真とか、仏教書、哲学書が美しくずらり。水墨画(かな?)や般若心経が飾ってあったり、花も生けてあって、気持ちのよい、品のいい空間。さすが建築設計の仕事をしてるお父さん。
翌日は、朝は五穀おかゆと、もちとうもろこし(こどもの時に食べた、甘くない、もちっとしたとうもろこし!おいしい!)と小さな包子と多分干したキノコを油で煮ながら甘辛味に仕上げたやつとか、おかずがいくつも、を、みーんなお母さんが作ってくれて、本当にすごかった、美味しかった。「中国の普通の朝食を明日は作ってあげるからね」と前夜に言われていた。中国では、朝ごはんが一番重要、とも。それだけのことはある、ボリュームと豊富な料理だった。美味しかった。(そしてあれだけ調理してるのに、整然とした台所。真に尊敬します、お母さん。)
そして豫園に連れてってくれ、弟くんの絵の試験(!水墨画みたいのを習っていて、スズメとか花とか筆法?が決まってる!)の送り迎えで教育大学に一緒に行ったり(いろいろな試験があるらしく、35度越えの池のほとりでは琵琶を一生懸命練習する小学生の女の子とそれを見守る父母、それが何組も。美術のところではなんか行列的に人が集まってるし、なんの試験だったんだろう)、帰宅後は水餃子を一緒に皮を伸ばすとこからやったり、老子(!)の生涯のドラマ(全50話とかそんなのを、ずーっと流しっぱなしに。)みた。(午後中作った餃子はもちろんすごく美味しかった。)
次の朝は、また違ったタイプの朝食。今度は、一緒に既成の皮に包む、わんたん。わんたんではなく、うぉんどん的な音のもので、わんたんじゃあないんだよ、と言われた感じがするけど、東京で今検索すると同じ形のが「上海わんたん」としてでてくる。上海語なのかもしれない。(例えば、北京語の「にーはお」は上海語だと「のーほー」などのように)スープで茹でて食べる。それとユーティアオ。揚げパンみたいな揚げ麩みたいな。どれも美味しい。
明日から休みが明けて学校が始まるお姉ちゃんを、寄宿舎に送って行ってから(ひろびろとした芝生のラグビー場とかある、近代的な校舎や宿舎)、ティエンズーファン。古い町並みを生かしたごちゃごちゃした、なんというかお土産にできるようなもの屋さんがいっぱいなとこ。そんなにおしゃれじゃないけど、楽しい場所(ちょっとだけ裏原っぽい?)。ギャラリーの集まったビルがあって、アーティスト本人が作業しながら展示販売してるようなところもあり、興味深い。日本よりもちゃんと絵が売れてそう。(ちゃんと絵が売れてる日本の状況の場所を、私が知らないだけかも。)
そうして集合場所のホテルまで送ってもらって、ステイは終わってしまう。あっという間の2泊3日。
どこも車で連れて行ってくれたので、移動中、盛んに中国語で話しかけられると答えられることはこたえたり、真似したり、広東語や台湾語(=閩南語)を言ってみたりして、遊ぶ。ヒッポの交流準備は、ひたすらストーリー音源を真似て言ってみるのを繰り返すのだが、ここ数ヶ月は、LINEを使ってみんなで毎朝30分やってきた。それでいかにも中国語っぽい音とか広東語っぽい音は、聞けるし出せるようにはなってるので、そういうありったけを使って、やりとりする。車の乗ってるときは、それしかすることないから、なんかいい。会話がとぎれたら、空で言える部分を、いろんな言葉で言ってみて、今のはヴェトナム語、とかスワヒリ語はこう、とか真似してみせる。お姉ちゃんがいるときは英語も使って、いなくなったあとは、片言の中国語で、伝える。結構わかることもあって、いい感じ。例によって「3ヶ月中国語勉強すればしゃべれるようになるよ!」と言われる。前に、フランスでも香港でもこういうことを言われたから(まあ、そうは行ってないけど)「音」だけはいいんだろうと思う。
そして帰国後の今も毎朝LINEは続けてるけど、中国語、わかるところがでてきたし、真似をして声を出すのがますます楽しくなってるのに気づく。(こういう微々たる変化を肯定的に捉えて、やった〜と喜ぶのが楽しい。)
さて、ホームステイのあとは、バスで2時間の、江蘇省の太湖大学堂に移動し、4泊の合宿。
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