年賀状は、去年行ったトーゴで買った布を床に広げてななめから撮影したのに、犬張り子をマジックで描いたのを貼り付けてみた。photoshop elementsでやるんだけど、荒々しく汚く切り取ってるのは、やり方がよくわからないからと、その方がいいか、っていうのと両方。(デザイナーじゃないからいいか、とか、年取ってきたから細かいことがやんなった、とか、アフリカ行ったら細かいとこにこだわっちゃってる自分ってどうなんだろう?などなど、さまざまな点で「今、これ」な感じです。(アッペカカ、はトーゴのエヴェ語の、ありがとう、です。)
オンライン講座で知り合った方からの、
年賀メールで今年のresolutionはなんですか?との問いかけ。
resolutionの意味は、あまりわからないですが、新年の決意ですか?
そして、やはり新年早々の別のオンラインで知り合った方の、facebookの書き込みを見て 英語! と思ったのです。
去年12月のイギリスの英語のスピーチは画像を多用して、そしてブライアンホワイトヘッドさんに原稿見てもらって、なんとかできて、聞いてくれた方々も、すごく喜んでもらった(これは正直、も〜、も〜のすごく嬉しかった!)けどもう限界。
そして、よくこれで海外教えに行っちゃうよね〜っていうくらい、メールでのやりとりにも苦しんでます。
そして、やるやるといいながらできてない、ウェブサイトでの作品説明の英語併記。
追い詰められてスピーチの原稿をイギリスで書いてる時、とても苦しいけど、なんか日本語で書いてる時と違った感じで、出て来るもの、があった。っていうか、
私のやってるのが、bookart じゃなくて、"concerning book" art みたいなことが自分からでてきた。
それから、5日間の和本講習をやって、最後の日に生徒さんとしゃべってて、こんな表現ってあるのかなって勝手に作って表現したつもり、なことを言ったとたんに、「今日のあなたの英語は、ずいぶんと自然になった」って言われた。
というわけで、英語で自分のやってることを説明したり、作品を語ったりできたら、何かと面白いなあ、と思ったのです。(それから、英語に慣れてくると、言えることが増えて、それによって自分を語るのがどう変わるのか、とかに興味がある。)
昔から海外指向みたいのはとりたててないので、英語にも特に興味がなかった。
元々出不精だった私は、20年間の教室で、生徒さんたちに育てられた。
結構遠い地方から習いに来てくれる、その人たちの、やりかたをずーっと見ていて、ある時真似してみようと思うようになった。また海外から来る生徒さんは、私を海外に呼んでくれる(本当に行動力がある!)。それからヒッポ(ともかく、行って、困って、実は困らないよって体験しなさい、という感じかな。)
この数年で以前では考えられないように腰が軽くなった。
前に何を考えていたか忘れてしまうくらい、いろいろなことが流入してくる。
ヒッポと自分の表現が接近して、言葉について意識が流動してきた。
この間行った西アフリカ(トーゴ)は元々、文字を持たない文化の場所だったそうだ。文字がないと言葉は音だったり体だったり表情だったりとものすごく全体的な表現としてある。「文字」を持つ、それを「本」にする、ことで、すごく多くのものが失われて、別の何かが生まれて行ったんだ。その生まれて行ったものの末に自分は生きていて、その自分が、もしも本がなかったら?みたいなことを考えにトーゴに行ったような気がした。無論、今のトーゴにはフランス語の教育があり地元語の一つエヴェ語もアルファベット表記ができるようになってる。
それに付随して「きっちり作る」というようなことって何なのか。必要なのか?なども考える。トーゴで曲がって建設中の建物を見ながら。
そういうことを遊びで考える余裕が今ある。
実際に体験したホームステイは、すごく楽しかった。
マティアスは、自分がやや居候的ポジションで住んでいるらしい、義理のお父さんの家へ泊めてくれ、そこで義理のお姉さん達がご飯を食べさせてくれた。アフリカのトイレは、外の溝だよ、とたどたどしい英語のやりとりで理解して(おそらく家の中にトイレはあるのだが、居候ポジションの彼が客に使わせるのにはちょっと気がひけるのではないか、と想像した。)、土間に置かれた蚊帳をつったベッドで眠った。真っ暗になった庭にみかん箱みたいな机と椅子で、ご飯の上にスパゲティーがのったのに、鯖と牛の筋っぽい肉と、モロヘイヤなどを煮込んだシチュー。翌日は日曜で教会へ礼拝に連れて行ってもらった。マティアスは白系のズボンとシャツ、真っ黒なスエードの靴でキメて、出かけた。静かな礼拝をなんとなく想像していたけれど、実際は、8時前から12時まで、踊りまくり歌いまくり。祈ることを動いたり声を出したりする中に入れてしまってるというか。マティアスに引っ張られて、踊りの真ん中に行って、私ものりのりで動きまくった。あとで神父さん(牧師さん?シスター?)がすごく喜んでたよ、ってマティアスから聞いた。
このことが、すごく嬉しかった。やってる時は単に楽しいだけで、あとで言われれると、一緒に楽しんでる、って本当に伝わるんだな〜、と強く自覚する。
一方、行く前に貪るように川田順造さんとか西江雅之さんの本を読んで、その中にいくつかすごく気になるところがあった。たとえば、クラシック好きの川田さんが、素晴らしいと感じる曲をブルキナファソの人に聞かせると、雑音のようにしか感じない、という反応だったこと。
本の中にも、会話の中にも、こういう「意味」の喜び、みたいなのをすごく発見してしまう。「ええっ?それどういうことなんだろう!!!」とすごく思う。日本にも西洋音楽が入ってきた当初そんな感じだった、と聞いた記憶があるような気がする。一方、謡とかをいいな〜と思う感覚は、西洋音楽をいいな〜と思うのと違うのじゃないか、とか。英語で言ったらこんな感じだし、日本語だとこう、っていうのを、意味のニュアンスがわからなくても、まずは音のニュアンスを体感してみたい、などと考える。
などなど、考えていくと、やはり言葉では言えないことを伝えて繋がったら面白いだろうなぁ、と思うので、言葉をある種苦しんで(つまり勉強、勉める強いる、も有りだな)使ってみようかな、学ぶのもありだな、と思う。(イギリスで、スピーチ用の英文をとても苦しんで、動かない手で一個一個石を積むような感じで書いたんだけど、それをあとで思うとそう思う。)
人間ってやっぱり変な生き物だと思う。
複雑な「意味」を使えるようになったことで、結局は今のコンピューターだってできて、それによって社会そのものが進化してる。だけど、人と繋がるとか共感するということにおいては、文字情報ではない生き物としての繋がりは不可欠で、そのためには実際に一緒にいて、共振共感を感じて同じ人間仲間だなと感じることが必要だと思う。そうしたら簡単に殺しあうようなことはできない。
「文字情報」=「意味」を伝えることがここまで進化したので、このことに気づく人が増えてくると思う。
自動翻訳の技術とか進化したから便利に意味を伝えられる。
なんだけど、「意味」でここまで進化して、ひどい戦争もやり倒してしまった人類は、「意味」じゃない言葉を思い出さないといけないな、と思う。
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