先週は、尾道市大で製本実習を2日やって、
そこから兵庫の佐用でラーニングスプラッシュというイベントに参加し、
奈良に移動して、三輪山に登拝し、「
糸のみほとけ」展を見た。
6日と7日は尾道泊。
実習の空き時間、時々教室に来てくださる尾道在住の生徒さんにいろいろ連れてってもらってすごく充実した。
向島の高見山山頂の展望台とか、
商店街のあなごのねどこという長〜い奥行きのドミトリのそのまた一番奥にある、「
紙片」という素敵な本屋さんなどに。たくさんしゃべれたし、やっぱり地元を知ってる人と居るといいな〜と思った。海外の友人から勧められていた、Airbnbも初めて泊まってみた。ホストママはペルーの人で、アルパカとかを扱ってるお店。スペイン語も教えていて、こちらも興味津々だったのだが、今回はあまり話せなかった。
これはこの後の佐用のこととも関係してくると思うけど、尾道を案内してくれた彼女の子ども時代の尾道と、今の尾道とでは同じ場所なのに、全然違う状態にあるのが、白日夢的に感じるようだ。宮崎県で過ごした大学時代は「あんななんもないとこ出身ですか」と言われて腹だたたしく思ったけど、そのくらいに寂れていたようだ。今は、店をやるために移住してくる人も多い。古い民家をなおして住んで、週末だけ、洒落たレンタルスペースにして営業していたり、無くなって久しかった映画館があらたにスタートしたり。
一昨年の初回に参加した「
ラーニングスプラッシュ」。初回のときは、企画者の
江藤さんはじめ、オンラインミーティングで知り合った方々にリアルで会うということが、私の個人的な大きな目的だった。今回は江藤さんのメッセージに心動かされて、よくわからんけどともかく行ってみよう!と勘で。
誘われて気が向いたら、よくわからないけど行ってみる、は、実は私の生命線。
(一方で、もっと静かに自分のからだから出てくるものを待つ必要性も感じるのだが。)
一言で言うと、PBLというものをやってみる、というのが今回のテーマ。
PBLは、プロブレム-ベイスド・ラーニングとかプロジェクト-ベイスド・ラーニングの略。意義をわからないまま知識を学ぶのではなく、まず現実の問題があってそれに対して何をやっていくのかというタイプの学び。
ここ佐用という地域は、実は、日本でも有数の過疎進行地域とのこと。ここの人たちの「困ってることいろいろ」などを聞いて、みんなでアイデアを出したり話し合ったりしてみよう、ということが、そのままPBLとなる、ということなのだと思う。
6つの困りごとがプレゼンされた。
近隣の
平福という場所は素敵な水辺の古い街並みがあるのだがそれを上手に地域振興に活かせないか。
ひまわりの里を売りに、人は集まってくるのだが、できたひまわり油をもっと売れないか。
ファブラボを始めたのだがこの地域発の革新的ベンチャー?を育てたい。
星がきれい、星読みである陰陽師ゆかりの地域でもあるので、それで地域おこし。
古民家を再生して移住して
農家民宿を始めたが、もう一軒もっと大きい古民家があり、それをきれいに再生して最適な使い方をしていきたい。
という書き出すと、どれも魅力的なプロジェクトだ。
私は、農家民宿のに参加した。
プレゼンテータの高橋さんの、作物が無農薬で育っていくのが、本当に人間の生きてることそのものととても同じで、そこから学ぶことがすごくあるという話が心に来たからと、一昨年もお目にかかって、敷居が低くなってたから。
自分は全然野菜を育てたことがない、それじゃわからんでしょ、っていうのがずっとある。元来が「頭」でわかっちゃうタイプ。そこをちゃんとしようよ、というイメージがある。
現場の畑を見せてもらいに行くバスの中で、あの災害の一週間降りっぱなしの雨のあと、現在は酷い日照りで、このままではトマトは死ぬ、ちょっとだけ水をやっても結局は死ぬ。全部が水浸しになるくらい水をやることができれば生きるけど、それは不可能だからどちらにしても死ぬ。で、実がならないと全然収入にならない。毎日の食事のことだから全然安くて、保証も全然されてなくてって、そんな状況を一手に支えてる農家って本当に大変だ、と、サラリーマンをやめて移住した高橋さんが言う。(近頃は、作物ができない場合の保険なども徐々に整備されている、との話も付け加えていた。)だからF1の種で、農薬とか様々のことをして、ともかくちゃんと実を成らして仕事していくのも、本当にわかるし、ダメとはとても言えない。でも自分はそうじゃなくやりたい。現代医療の機器の進歩で母体に居るときから脳がないとわかっていて、それはつまり生まれてすぐに亡くなるということを意味しているのだが、ちゃんと出産をするサポートをしたお医者さんの話とかも語られる。同じふうに苗を植えても、元気な苗もあれば死んでしまう苗もある。命ってなんだろう。
先月から行っている、からだについての学び、では「あなたは、人間に興味がなく、自分にしか興味がないでしょ。でも自分は何?人間でしょ。だからあなたのような人は、自分という人間をちゃんと感じるところにルートがある」と指摘された。なんかすごく腑に落ちた。(急に抜け落ちてるところがある。。。)
はじまりがあって、終わりがある。
生き物の「個体」を分ける境界が、皮膚であって、皮膚によって、自分の内側と外の世界が分けられている。
佐用は、自分が生きてる東京から遠い。
オンラインで製本講座を作る自分の意識は、ここでない場所とも繋がれる手段としても講座を考えている。
どこに住んでも生きていけるやりかたがいろいろある気がする。
「繋がる」ということは、方法とかではないような気がする。
上の空にならずに、いつでも「自分」を感じていられるようにしていくのが繋がることに繋がる。
佐用でいろいろやってるとき、製本アーティストとしてできること、とかそういう枠の方から考えると、まあできることもあるかもしれないけど、それは人に考えてもらったらいいことかも、と思う。枠を決めずに、自分という素な人間が、何を出してくるかに、耳をすましたり、待ったりするのがいいと思った。
頭はあせっていろいろ出してくるけど、体が動くまで待つ。
まあ、私が次にするのは、農家民宿に泊まりに行って、大きな古民家を掃除すること、とは思う。
幸い、2年に一度だった尾道大も年1を提案されたりしてるし、ほかにもどこかでワークショップをできればもっと行けるよね。アーティスト イン レジデンス、っていうのもよくあるけど呼ばれて行くんじゃなくて、自分で勝手に「そこに行ってなんかする」をやれればいいんだなと思う。移動する製本教室、的な。
最後に。
印象に残ったのは、ラーニングスプラッシュの参加の方々。
先生がお仕事の方が多いのだが、公立小学校でただ1クラス自分の担任クラスだけ、
イエナプラン的?でやってる方がいたり、高校でのキャリア教育で、台湾やマレーシアなどアジア圏への大学進学をお薦めしてる人がいたり。。。
もと海運会社でシンガポールにいらっしゃって、今はドローン撮影を趣味延長の仕事にしてる人とか。。。
(ドローン間近で初めて見た。。。)
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