動画、という自分にとって新しい方法が見つかった。
自分の「説明欲」を満たしてくれる、場。
映像にも写真にも苦手意識があった。「美術」界で育ってるので「美的にちゃんと」しなきゃというプレッシャーがあり、しかも「枠」というのが苦手なのだ。瞬間のフレーミングがうまくいかない。
今は、それは気にならない。完成度とか関係なく、言いたいことをわかりやすく。(ひどい英語でもとりあえず気にせずしゃべる、という気持ちに似ている。)
お金を取るんだったら、このくらいやらないと、というのが常に付き纏う。
それはこれからも変わらないだろうけど、
「完成度」=「ちゃんと」によってお金が動くことには、無駄な労が多く、性に合わない。
でも、元々の性分として「きっちり」「キレイに」作りたい、っていう気持ちはすごくあって、そのために様々の手管を使う。「キレイ」は手順が整然としてるという事。結果として仕上がりがそこそこ良くなる。だから、どうやったかを説明したくなる。中高生が数学の証明を黒板に書いてる感じ。
賛同が得られたらより嬉しいけど、そうでなくても、まあいいか、だ。
動画での説明は、今までのやり方に比べて「痒いところに手が届く」感がある。
しかも、無料でできるから、プレッシャーがない。ダメだったら、取り下げてやり直せばいい。実体が全く無い、ということも面白いなーと思う。(いよいよ偽物っぽい。でも、概念には実体はないのだから偽「物」ではない。でも、動画は「概念」なのかどうか?うん。やっぱり概念だと思うな。四角の枠に平らな何かが映って動いて、それ見て喜んだり泣いたり感心したりするんだから、積極的に騙されたい)
だからなのかはわからないが、何が一個いくら、っていうのではなく、たくさん作って、自分はこういう者ですから、生きていてもいいですか?と、全体で表現できるので、たくさん作って、認知されていけば、それなりに生きていけるはず、って思っている(ところどころで、有料の講習とかもやろうと思っています)。まあ、ブログでもそのつもりではあったのだけれど、製本のやり方を教える人、は、私の一部であって、それは全部に繋がってるのを表現しやすい。
私は60年近く生きてきてしまって、(かつて)かなり売れた製本の本の著者という、財産?があるから、それを素直に使うことにする。誌面の都合で説明や図を省かなければならなかったり、後からもっといいやり方を見つけたり、こっから先は自分で考えてねってせざるを得なかったところ、などなどを、
「今の自分はこうやってます」
と、詳細に表現できるのは、本当に気分が晴れる。
それに、絶版になった自著を、別の形でまだまだ生き延びさせる、っていうことにもなるのではないかな。
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