最近やってるのは何かというと、いや最近というより、コロナになってからずっとだが「整理」だ。
整理する、のはこれまでちゃんとできてないところを見ると苦手なのは間違いないだろう。
だが、意外に、好きではあるような気がする。
というか、人間は分けることに喜びを感じると思う。
子供の時から、虫が好きで、個々の虫の名前を知っていくのって「仲間分け」で、
仲間分けができると、これとこれが近い親戚で、これはかなり違う、というふうに全体がどう別れてるのかわかってきて、うれしい。
初めて見るものが現れても、だいたいこの辺の仲間だろう、とあたりをつけられるのが、その感覚がシンプルに嬉しい。もちろん人に知ってることを自慢できるのも嬉しいけれど。
ところが、自分が整理してすっきりしたい「自分のやってること(主として製本仕事)」が分けられない。
どこもかしこも繋がってるように思えて、そのちょっとしたつながりが嬉しくて、話がとっちらかって、拡散していく。拡散は拡散でいいのだが、本当にどこにいるのかわからなくなる。
こういう人に習う(私の主な仕事は手製本を教えること)のは、全体がわかりにくいだろうな、と今年のはじめころ思ったのだった。
都立工芸高校で週1で教え出して、早5年目。一年通じて(そして一年を限って)手製本を教える、というのがそれ以前にはあまりなかった。
私は極度に対応型なので、やりたいことがあればそれについて教えます、という自分としてはいつものスタイルでやっていた。
4年やっての今年のはじめころ、はじめて、ひどく「全体像」の必要性を感じるようになったのだった。
それで、今年度は、こんな図を作ってみた。
この件に関しては、今までもこういう考え自体はあって、そういうふうに教えることもあったけど、図示はしていなかった。
とじは2-2-3、表紙はB-A-B
とか書けるのが嬉しい。
作ってから二月ほど経った今、あらためて、図示できたことに軽い驚きを感じる。
できあがった形から分けようとしたのでなく、実際にしている作業から考えていったので、すんなり分けられたのかな、と思った。
もしかしたら、パソコン内で混乱するファイル(これが「整理」に関して、今、非常なもやもや)も、こういうふうな考えから始めていけば、整理できるのではないか。
来週のブログ(週一回木曜22時アップ、と決めました)までには、このあたりを試みてみよう。
ちなみに、一昨年くらいから、すべてのファイルに日時を入れることで、ファイルへのアクセス自体はだいぶ改善された。整理に「うんざり感」がだいぶ減ったのは、そのせいだろう。
上の考えで、整理のきっかけが掴めれば、すべてが「虫」のように楽しめる、に近くなる、かもしれない。と希望的観測。
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