2024年10月 2日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
前の日曜に、OTA BOOK LAB 作品展 を見に行きました。
太田泰友さんは、ドイツでブックアートを学んだブックアーティスト。
その太田さんが、この展示の案内はがきで書いていることば。
〈 ブックアートの大いなる可能性を潜在的に持ちながらも、それがなかなか形にならないこの日本で、なんとか一歩目を踏み出そうと立ち上がった2018年10月。新たな本づくりの可能性を追求する場OTA BOOK LABが発足してから、もうすぐ6年になる。 〉
透明なプラスチック手袋をまず渡されて、ほとんどの作品を持ったり、めくったりして鑑賞することができる。
これがすごくピッタリだった(ほんの少しだけ手袋フェチ傾向の私です)。
布の手袋などで、ああ、本当は直に触りたいなということを思う場合もあるのだが、今回、全くそうは思わず。
ガラスのページがずっしり重いのや、OPPフィルム?で全何百ページができている作品など、プラスティック手袋は最適でした。
寒冷紗のページのもの、布に刺繍をしたページのもの、なども快適にめくらせていただきました。
本って触って読むものなのだよな、と改めて思いました。
触ったりめくったりが、テキストとどう関係するか、とか、普通の本ならば気に留めないところに、フォーカスして楽しませるのも、ブックアート、ですね。
最重要なのは、どういうコンセプトでこれを作ったか。作者の書いた説明と、会場のスタッフの説明で、それを知るといよいよその本がブックアートになっていきます。
どれも美しかったです。
そして、私は、いろんな雑念がでました。
アートが「仕事」あるいは「商売」として成立するのって、どういうふうな道筋なのだろう。
アーティストと自称しつつ所詮その道筋のわかっていない私だなぁ、と思ったり、だからブックアーティストじゃあなくて製本アーティストって(なんだかまがいものっぽい名前を)自称してんだよな、と妄想したり。
帰宅したあと、自分が昔作ったものなどを思い浮かべたりしていました。
今、作品的なものは何も作っていないけれど、最近、久々に、とてもキレイなものが作りたいなぁ、と、ちらりと思うことがありました。この展示を見るより少し前だと思うけれど。
ここちよく触ることができるために、キレイに作らなければならない、という要素が「本」にはあります。
私、製本教えていて、キレイに、汚さないで、きっちり作る、ということこそを特に大事にしているな、と改めて思いました。
私のしたいことって、どうしたら「キレイ」か、ということだけかも。
特に本質は無いような気がする。
「きっちり」とか「ちゃんと」が、がんばらないで合理的に解決されるのが「キレイ」かな。
結局、そういう、ごく、感覚的なとこに、こころが痺れてるだけの私。
急に別な話を繋ぐのですが、家の前のヒガンバナののびてきた蕾が二日に渡って、何者かによって、ほぼ全部(19本中18本、的に)スパッと切り落とされていました。
見た瞬間にどきっとし、それから胸が嫌な感じになりました。
無惨に散らばる蕾を拾い集めて、活ければ咲くか?と思いつき、水切りして活けて数日。
このように咲きました。
キレイを作りたい、死んだものを活ける、みたいなことを、ちょっと思いました。
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