「竹」。
これは毎年、風の噂に聞こえてくるヒッポの上海合宿の「メイン」アクティヴィティなのだ。いやメインはあくまでも「ヒッポ活動」だろうけど、ついそう言いたくなる雰囲気。
いや、「竹」も十二分に「ヒッポ活動」なのが本質だろう。
去年のネーチャーキャンプ(斑尾高原)に参加して、「竹」の親方の、二名良日さんを知る。
そもそもこの二名さんがこの太湖大学堂とヒッポを出会わせてくれた張本人らしい。だから「メイン」と感じるのも当然と言えば当然。
これがやりたくて参加してる、リピーターも何人か居る。
私も、日本での準備では竹チームにあまり参加できてなかったけど、
太湖大学堂についたら、迷いなく「竹」チームに入った。(日常、体育会系苦手な私としては、なんかちょっと「勇ましい気分」だ。)
「竹」とは。
大きな孟宗竹(だと思う)を使って「何か」を作る活動。
過去には、筏を作って太湖に乗り出したり、ツリーハウス作ったり、茅の輪くぐりの茅の輪よりももっと大きなリースを作ったり、してきた。そのことは、写真とか報告会とかで知っていた。
やった人の話を聞いて、何をしたかは、なんとなくはわかっていた。
だけど、経験した今になってもまだ、それがなんなのかうまく言えない。お祭り?儀式?
帰国後に、一緒にやったみんなと会って、感想をシェアすると「すごく楽しかったんだけど、わかるように説明できない」とか「上海マジック」とか言っていて、「そうそう!!」と にこにこと応じてしまう、この連帯感。
ただただ、あ〜あ、楽しかったな〜、っていう気持ち。
合宿期間中。ネットにはちゃんとアクセスできないし、ただただその日の活動(運動会だったり、竹だったり、)を全力でやって、おいしいご飯を食べまくって、明日の活動をどうやるかだけを考えて、準備して、だった。
今回は、大学堂のダイアナ先生の10周年を多少意識したリクエストに、二名さんが反応して、学校の農場脇の建物の外側に、片流れの高い屋根をつくり、気持ちよい日陰スペースを作る、ということになった。
すでにある低い屋根を足場として利用しながら、高くする柱になる竹を9本ほど建て、さらに足場を作ってゆく。
やることは単純で、既存の柱も利用しながら長い竹の柱を9本立て、それらを横に渡した竹で縛って構造としていく。横の竹には、構造として残すのと、足場にするための仮のものとがある。
竹の縛り方が、伝授される。(角縛り、と言っていたかな?)ロープを適切な長さに切ってほどきやすいようにまとめる。竹を運びこむ。二名さんと、助手のわおさん(二名さんの息子さんである)と、経験者たちの、リードでスムーズに始動していく。
上に登る人、下でロープを準備したり、それを手渡す人、など、自然に分業になる。親方である二名さんは鉈を使って、竹の下ごしらえをしたり、全体の指示を下から出し、わおさんが上でそれを受けて、わかりやすくみんなに伝える。
二名さんの指示は、そんなにわかりやすくない時もある。
リピーターの人の中には、前回と違って二名さんのイメージが明快でないような気がして、意図がわかりにくい、これは進化なのか?とか、助手のわおさんにもよく理解できない指示が、とか、もっと自分で考えろ、みたいなことなのかな、とか、普段小さいけれども、やはりものを作っている私には面白いことが多い。それでも、着々と竹の屋根は組み上がっていく。
他のアクティヴィティも含めて、合宿全体についての感覚なのだが、ともかく集中してやって、楽しかったのだ。
それらを、書いていたら、かすかに思い出したことがある。
高校生の時に、ガリ版でクラス誌的なものを作りまくっていて、刷り機持ってる友達の家に泊まって刷り続けていた時のこと。(自分が、今、「本」を作る人になってる原因の一つはここだ。それからもっと前の中学生の時の図書新聞。それと、「Rockin' on」。そんなころに好きだったことから繋がってることをできてるって、幸せなことだ。)それから、高校一年の文化祭で、えーと何をやったか思い出せないけど、徹夜をしてやり終わった時の、満足感かな。目的物を忘れて、感覚だけをかすかに覚えてる。(あー、少しずつ思い出してきた。自分はシルクスクリーンでクラスの出し物のポスターを作って、それが黒い紙にレインボーカラーのグラデーションで文字だけのデザインだったのはわかる。それ思い出せるのに、出しものが何だったのか、タイトル思い出せないのがすごい!芝居だったと思うけどなんだろう?家族から「あなたはいつも自分のことだけだね」と言われるのが、わかるな〜〜。)
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