2024年12月26日|ブログ|個別ページ| コメント(0)
今年のキーワードを3つ、と英語の先生に、聞かれました。
まず、エクセル。
次、レスジョギング(ジョギング量が減って体重増)。
そして、チョムスキー。
と答えました。
エクセルのことは、ブログでも何回か書いた。
(今日は、はじめてパソコンでCopilotに、エクセルのわからなかったことを音声で聞いてみた。ちゃんと会話できちゃう感覚、はじめて味わいました。背景色を交互にする関数の意味、あ〜そういうことだったんだ、ってわかりやすかった。会話が文字で記録もされてくので、あとで振り返って確認でき、これからも遊んでもらおう!と思った。まあ、そんなすごい単純な使い方しか今のところ思いつかないが。新しいChat gptがすごそうだし、来年はもっとAI使うだろうな。)
チョムスキーについてもブログで少しだけ書いたけど、これは、みんなとする読書でしたね。一人で読んでどうなるってものでもない。
4月からの、酒井邦嘉先生の『統辞構造論』を読む、の講座。英語の先生と読んでるのは『On Language』っていう1970年代の本。ヒッポのみんなとは『統辞理論の諸相 方法論序説』(チョムスキー著、岩波文庫)を読み始めた。
こういうのは、amebaでブログを書いていた2021年からやっていたんだな、と今見てわかった。このときはコロナの中で「わからない」ということについて、わーわーはしゃいでいましたね。なんか恥ずかしい。
今は、空気感が変わりました。じっくり味わっています。
今週の『統辞理論の諸相』の輪読で、容認可能性(acceptability)と文法的な(gramatical)は全く別な概念、というのがありました。文のわかりにくさは、やたら長い文で記憶できなくてわからない、などなどいろいろな原因があるけれど、それは「文法的に間違ってる」こととは全く別の概念、である、というのを繰り返し力説していて、はは〜ん!となりました。チョムスキーの繰り出してくる文は「ただしい文法」で書かれているが、長くてわかりにくい。このくらいのわかりにくさは、すらっとくぐりぬけて理解するようでないと、複雑かつ整然とした理論である生成文法の理解へはたどりつかない、だから関係節がたくさんあってそういう意味では「明快な」文は楽勝で読みこなしてね、というメッセージなんだな、と思ったんです。
まあ、それはそれとして、さて、今年はどんな本読んだっけ?という一覧が全然できてなかった、この期に及んで、気づきました(年始にちょっと書いてみたい、何読んでたか)
来年はちゃんとエクセルに(かな?)メモを残して、今年は一年、これを読みました、ってブログでも書けるようにしたいです。
面白かったことはもちろん、理解したことを少しでも、人に説明できるようにしておかないと、全然先に進めない、とわかってきたので。
さて、今日書いた気づきも、動画とブログを週一でやりだした、ということの結果です。
エクセルで作業を記録したり計算をして、結果を再びエクセルで表現したり、動画やブログにして出したり、ということで、やっと多少理解がすすむ、という地道ないとなみですね。続けていきます。
今年も一年、ありがとうございました。
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