9月12日から22日まで、中国の刘冰莹さん(=英語名エミリー)がうちにステイした。彼女は「東京アートブックフェアに合わせて日本に行く時、プライヴェイトレッスンを受けたい」と、この3月頃、メールをくれていた。ステイ中のうち、まる5日間+αで、だいたい44時間のレッスンをした。(上は、レッスン終了時、本と一緒に)
私にとって、すごく濃い体験となった。
友人の安田薫子(しげこ)さんに通訳をお願いしたのが、大きい。
エミリーが「日本語・英語とも、聞いたりしゃべったりすることに自信がないので、できることなら通訳を」ということを言ってきたので、薫子さんにお願いしたのだ。
やったプログラムは、「ゲストブック」と呼び習わしている布装の綴じ付け表紙の本。私のウェブサイトに「入門編カリキュラム」として載せているもの。それに加えて、エミリーのリクエストで私の1冊目の著書に載せているコプティック製本、そして布の裏打ち。(右、薫子さん。)
うちの教室には、段階的なカリキュラムがない。定番としてあるのは、このフランスの工芸製本スタイルの白紙の本のみ。(体験用や細かい細工のプログラムはいくつかあるが。)
教室をはじめた19年前からのもの。
私が1冊作り、生徒さんはそれを真似ながら1冊作る。
ふと、ツアーって言葉が頭に浮かんだ。生徒さんと二人でめぐる「山崎曜が案内する、なんちゃって西洋製本観光ツアー」。あくまでも「なんちゃって」。前に、これを留学先のイギリスの先生に見せて、「意味がわからない」と言われたと言っていた生徒さんがいた。なにしろ、中身は白紙だし、革装の作り方を布装でやるのだし。(ところどころ「はりぼての建物」があったりする。。。感じか)
自分が理解してること、知ってることを全部盛り込んではいる。そして白紙だから本の内容についての作法はすっぽりと抜け落ちている。まさに、私まるだし。私が興味あるところだけ、私が面白いな〜、興味深いな〜と思ったところだけ。そんなものになってる。
概要はルリユール(フランス工芸製本)だけど、視点は「ここかいっ!?」ていうようなものである気がする。
私が理解しているのは、これをやると、様々な素材扱い、道具扱い、考え方、が体験できる、ということ。白紙を折るところからやって一冊の本を製本するのに最短で12レッスン(=30時間、花ぎれを編むと14レッスン35時間程度)もかかってしまう。そして、工程を覚える必要はない、と私は思う。このやり方を使って何かを作るということは私にとっては、ほとんどない。おそらく多くの生徒さんにとってもそうだろう。結構大きな道具も必要。だからこそ、単に、観光で、一度そこを訪れてみるツアー、と感じるのかもしれない。
このプログラムが成立したには、今にして思う理由がある。
まず、教えるのには「何かやること」が必要だ、ということ。今回、教えながらふと思い出したが、教室初期のころ、2時間半という長い時間を、教えることで持たせるというのがすごく負担に感じていた。たよりになるのは「何かやること」だ。こまこましたプログラムで段階的カリキュラを構成するのはたいへんすぎだった。私の製本は(学校じゃなくて)仕事で覚えたものなので、踏襲するカリキュラムがない。加えて、簡単なものから難しいものへと段階的に進めていく、という考えが「うそだな」という気がする。これは独立して初期のころ「この仕事は簡単そうだな」となめてかかって酷い目に遭ったことがあり、その時思い知った。(普通、製本のカリキュラムではじめの方に持ってくるものは、確かにシンプルだけれど、手さばきや何かができないとうまくこなすことができず、かえって難しい点があったりする。)どこからやり始めてもその中に基礎になることが必ず存在していて、経験を増やしていくといわゆる「基礎」ができてくる、と感じる。
そんなこんなで、結構長いルートを供に旅する的なものに。どこが面白いかを解説しながら、時間をすごしていくことになった。
エミリーは、さすがにすごく適切な質問をしてくる。(「手で作る本」の台湾版に出会って2年準備、このところ2ヶ月日本語も勉強したそうだ。)
通訳をしてくれる薫子さんにも理解してもらわねばならないから、どうしてこの作業をするのか、なぜ糊をここに塗るのか、などを普段より以上に詳しく解説することになる。そうすると自分が何をおもしろがっているのか、何を大切にしているのかを、より詳しく自分に印象付けられる。
また、薫子さんは、うちの息子の友達のお母様なのだが、製本をやったことがないのに、なぜそこを聞いただけでわかるの、というくらい痒いところに手が届きまくる通訳で驚いたし、すごい出会いになったな、と思った。
(エミリーが来なかったら、近所で、息子の仲良しのお母さんという親しさでありながら、このことには気付かぬままになっていたはずなのだから。「このこと」には、聡い通訳ということだけじゃなく、中国への深い思い(中国茶の先生もなさってる)というのか、もっと広げて人間への深い思い、というものが含まれてる。)
私のこだわりは整然とした手順ということにある。と、より自覚するようになった。
このプログラム、20年近くやってきて、細部を随分マイナーチェンジした。花ぎれの編み方とか、小口の仕上げ断ちの方法とか、最初に知っていたやり方を、もっとやり易いやり方(つまり、手順が整然=作業してる時に楽しい!身体的快楽!)に改めた。大きくあらためる時は、試作することもあるが、ちょっと思いついた時は、現場でどんどんやってしまうことも多い。ずっとこれ一本で来て、だいたい7割くらいの新しい生徒さんにはこれをやっているのに、飽きないのはそういうことだろう。
(下は、エミリーの今回やった花ぎれ。私は花ぎれ編みはあまり好きではないので、早く終わらせたい。だから穴糸でざっくり編む。私が見習いの時、とても苦しんだ花ぎれ編みを、さらっとこなしていて、素晴らしい。)
エミリーの習いにくる動機は、私の本の台湾版を買ったこと。中国で、海外の本を買うのは送料や何かでとても高価で買いにくいらしい(注1)。そしてウェブサイトを見つけ、そこからメールをくれた。返事はそんなに期待してなかったということだけど、返事が来てやりとりして、今回に至った。こんなに熱心なファンがいて、私は素直にうれしい。そして素直に力をもらうし、素直にここに書いて自慢したい。出版された本の影響力ってすごいな、と思う。出版からちょうど10年。企画し、企画を通し、一緒に掲載する作例のアイデアを練って、編集をしてくださった小山内真紀さんに、またまた感謝の念がつのる。
エミリーが言うには、あとがきの言葉にも感動したとのこと。それは
「大切なものを本当に大切にできる時代になることを願って。」という一文。
教えながら、そんなことにも話が自然となっていく。これも通訳の薫子さんのおかげ。そして流れに任せて進む、私のいつものやりかた。話がそうなったところで、過去の作品も見せたりしながら、ゆるゆると進む。薫子さんの来られない時間帯は、どんどん作業をすすめる。作品の実物を見たエミリーは、写真でみるよりずっと綺麗、と言ってくれる。そうやって、私自身も自分の作品を振り返ることになる。
新しい素材への好奇心は一貫している。素材の効果に魅了され、それをどう使うか、どのように接合するか、というのを考えることの楽しさ、苦しさ。(苦しさは後で忘れてしまうんだけれども。)
外見しかないものが写真だけでも、海外の人をも引きつける魅力を放っている不思議さ。付随的にある言葉が放つ吸引力。そのどれもが、私を、今、ここ、に連れてきてくれた。
google翻訳、英語⇄中国語、は、かなり使えるらしい。一方、日本語⇄英語、はかなりだめ。
やはりまずは、自分のウェブサイトの英語を作らないと。(前にもそう言いつつ怠けてる。英語できないくせに自分で書きたい。だから自分が英語をやらなくちゃなんない。)
エミリーは、大学では工業デザインを学び、出版社に6年勤めたあと、現在は製本道具などを販売するサイトをやったり、展示などをするリアルのスペースもまもなくオープンする。今回、まるみず組でもいろいろ仕入れて帰ったようだ。関係を構築していく、積極性や活力がすばらしいと思う。私もそのネットワークの中に入れて貰えることが嬉しい。
エミリーからお土産でいただいた、豪華本「梅蘭芳 戯曲資料図画集」。彼女が勤めていた河北教育出版社の本で、ドイツでやっている「世界で一番美しい本コンクール」(日本では印刷博物館で毎年展示がある)で中国初の賞をもらった本とのこと。シンプルな線装の2巻本が、磁石でしっかり閉まる秩に収められている。京劇のさまざまなメイクや、装束を着けた俳優達の絵、が、美しい印刷でいっぱい。梅蘭芳、私はまるで知らなくて恥ずかしい限りだが、京劇の有名な俳優。この人の事についても本を読んでみなければ。
去年の香港のアートブックフェア、知日の連載、今回、(また私事でも息子が台湾にホームステイしたり)、ここ2ヶ月くらいに、深尾葉子さんの本や安富歩さんの本を読んだりしたこともあり、自分の中で、中華圏世界との交流が、急激に顕在化してきた。まあ、自分としては、いつもの通りで、来てもらってるばかりという面はあるのだが。
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注1:
薫子さんの説明によると、海外から中国へ、本を送ることはとても難しいとのこと。Amazonのパッケージなどなら、すぐに開けられて破壊されるそうだ。もちろん、何かに隠して送ることは可能だが、それは推奨できることではない。「本」は危険なものなのだ。
また、Facebookもファイアウォール(?)に阻まれて、ほとんど使えないらしい。
私は、メール、messenger 、wechat などでやりとりした。
以前の私ならば、やはり共産党1党独裁の中国は言論統制が大変だな〜と通り一遍な感想を持ったことだろうが、自粛とか自主規制をしてしまう日本という国の方が実は全体主義的かもしれない、という見方を知って、その辺も中国の人の感想を聞いてみたいな〜などと思うこのごろだ。
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