さて、いよいよ、私の中国の旅の、もう一つのメインイベント、ヒッポの通称「上海合宿」、Asia multilingual youth camp in Shanghai の本編、合宿。(8月20日〜26日)
ユースキャンプの名の通り、基本、世界(特にアジア)各国からの中高大生のための多言語交流イベント。(今年に関しては、日本約50人、中国約30人、あとシンガポール、というそんな多数の国ではなかったのが少し残念だったけど、栄えある10回目。)場所は、上海からバスで2時間くらいの、江蘇省の太湖のほとりにある太湖大学堂。南怀瑾老師の教育理念を具現化したというこの学校は、6才から15才までの寄宿制の先進的教育をしている。
グランドから眺めた太湖大学堂。暑かったな〜。37度越えだった。7月の上海は40度越えだったというから、それに比べると、まあ、良かった良かった。
(大学堂の名前の「大学」はUniversityの意味ではなく、中国の古典の四書の一つ、「大学」から取ったもの。)
10周年ということで、世界各地に住むかつての参加者が集まる会もやった。
その2で書いたホームステイの後、太湖での合宿に出発する前夜に、上海でこの会が行われた。
この会は、かつての参加者が中心になって進行してくれ、中でも今回の合宿にも通し参加した、さっくん(上海外大卒で、バンクーバー在住)と かえいちゃん(上海外大卒で日本に留学中)には本当にお世話になりました。
この場に来ている元参加者もいるし世界各地からのビデオメッセージも披露された。
さっくんは10年前のこの場に居て、合宿前の「どんな意味があるんだろう、何をするんだろう」という不安で少し懐疑的な気持ち、そこからいろんな縁がはじまったこと、10年後の今までこう仕事をしながら、ここにもどってきて10年前の自分のようなみんなに対して話していることを、すごくうまくみんなの心に向けて語ってくれた。
(それにしても、さっくん と かえいちゃんの、全く淀みのない日本語と中国語が、すごい。すごいのを忘れるくらい。で、普通な進行としても流れるようですごいな、と思った瞬間に思い出して。)
合宿も、ヒッポ本体についてもそうなのだが「それが何なのか」を人に伝わるように、言い表すことはけっこう難しい。(注*文末に脚注を書きました。)
というか、人間がしてること、したいこと、を言い表すのは、難しい。
でも、言い表すのが難しいこと、ってすごく興味があるし、本質的な感じがあるし、話そうとしている人も聞く人もなんか人間的で、嬉しい気持ちになる。
このところ私はアーティストを名乗ってるけど、その意味は、特にそういう、自分が何をしてるのかとか、どう感じてるのかとか、なんでなのかとか、そういうことを言い表すことが業(ぎょう、でも、ごう、でも読みかたどちらでもいい)な「人(すと)」なんだと思う。言葉でも、作るものでも、常に言い表そうとしつづけるところになんらかの「芸」を出して生きる糧を得ていくのが、アーティスト(いわゆる芸人じゃないけど、意味的には芸人)なんだろうな〜と思う。常になんだかわからないもやもやしたもの、という感じがある。普段から、ヒッポ参加してると、延々とそれをしてる感じ。自分を言い表す。なんだかもやもやした感じをなんとか言葉にする、その繰り返し。それは死ぬまで変わっていくので、ずっとやりつづける。
さて、簡単に言うと、この合宿は「なんか」をして、世界各地のみんなと、仲良くなるための場所と時間。
いろいろの合宿は、その種目のスポーツやら勉強やら業務?が上手になったりしながら親睦を深める、という目的がある。この合宿ももちろん多言語が上手になるといいけど、出会うのが上手になる、というのか、親睦の方に重きがある。
昔風に言うと、同じ釜の飯を食う、ということが目的。ともかく、一緒の時間に一緒の場所に居て、何かをする。
さて、その若者達の交流の場に、倍以上の年(いや、中学生からしたら4倍ですよ)の私が行くのがまたまた、どういうことなのか。
(多言語だけでなく、多世代ということもヒッポは言っていて、多様性のある場の方がいいっていう理念はある)
まあ、私としては、単に、若い人の中に入ってみたかったのだ。基本シャイなので、機会があればそうじゃない部分を増やしたいと思っている。ヒッポの元気な若者をいつもなんとなく横目でみながらも、輪に入れない感があるのを打開したい思いはずっとあった。
で、自ら動くのが苦手だから、製本で中国にまねかれた今回は絶好の機会だと思った。また、去年や一昨年にヒッポの国内での交流イベントなどでも、製本をやらせてもらう機会があったので、それを発展させてみたい、という思いもあった。(北京でやったような「ちゃんと普通に製本を教える」というのとはまた違った可能性をさぐりたい。)
あとは、自分が異物である状況の方が、私には楽というのが大きい。(同年代、同性、というのが苦手というか構えてしまう。だから次はここを打開したい。。。。)
こんなふうにして、夏休みに数週間を自由につかって若者合宿に参加というようなことをやろうと思えばできる自分なのだから、その状況を最大に生かして、よりまわりと違ったものになって行ったほうが、生き残り戦略(アーティストとしての本能?)としてもいいんじゃないの、という目論見もある。
このような、私自身の概念的な考えはいろいろありつつ、
3月くらいから日本からメンバーみんなで準備会を重ねて、下記のようなことをやろうということになっていた。
4泊5日を使って、
ヒッポ、料理を作る、文化ショー、運動会、カンフー、瞑想、竹で何か大きいものを作る、製本、、、などの活動。下記に少し説明をしてみる。
ヒッポ。
これは普段のヒッポ活動を、初体験の中国から参加の人たちをまきこんでやる、という意味。
具体的には、SADA(sing along dance along)と言って、多言語の曲に合わせて歌いまくって踊りまくる、あと種々のおにごっこなどのゲームをする。
メタ活(メタランゲージアクティヴィティ)といって多言語の音源を真似する。
Lmp(Lex multilingual presentation)と言って、三言語以上を使って、自分の一番興味のあることについて、3分で発表する。
そして、とにもかくにも大人数や、小さなグループで、繰り返される、いろんな言葉による、感想のシェアリング。
以上のように、やってることの説明がとても煩雑になるのがヒッポ。
特有の用語があるのがまた説明が必要になる。
ダンスやゲームをするのはSADAと書いて、サダ。
「メタ活」は音源を真似すること。メタランゲージアクティヴィティで、なんか学術的っぽいけど、感覚的に名付けたものらしい。そしてその時声を出すことを「(言葉を)歌う」という。
料理
日本らしいそうめんとかおにぎり、中国らしい水餃子なんかを、いっしょに作って、いっしょに食べる。
運動会
ピンポン球をスプーンで運ぶリレーとか、バスケットボールとか、リレーとか。
文化ショー
世界のいろんなところの衣装でコスプレ?。中国の人にはゆかた着てもらったり、日本の人もチャイナドレス着たり。双方のお茶事の紹介とか、日本の昔遊びの紹介で楽しむ、とか。
それぞれの国の歌も歌った。
カンフー、瞑想
太湖大学堂の、よりすぐりの先生方が、実地にご指導してくださる。カンフーは一つの套路(ラジオ体操のような一連の流れ。たしか18式、だったかな)を毎朝5日やって一通りの流れができるようになった。瞑想は、中国には仏教伝来以前からあったことを説明していただいた上で、禅のものを教えていただいた。
竹で何か大きいものを作る(通称、「竹」)
ヒッポと太湖大学堂のそもそもの出会いを作ってくれた、植物アーティストでテレビチャンピオンの無人島王の二名良日さんと作る「何か」。
これまでには、いかだを作って、太湖を渡ったり、ツリーハウスを作ったり、茅の輪くぐりのような巨大リースを作ったり、というのがあった。ことしは、家の外にタープのように、しかし高い屋根をかけて、そのしたにくつろぎのスペースを、というものを作った。大きな片流れの屋根。
本作り(製本)
「竹」ではみんなで一つのものを作るけど、本は、一人で作って、いろんな人の書いてもらって、「この時」を残そう、みたいな意図を説明した。線装(日本での通称は、和本)で白紙のノートを作る。そんなに派手にやるつもりはなく、まあ2~30人くらいかな、と思っていたら、60人くらいもやることに。
私自身は、以上の内の「竹」と「本作り」に特にかかわってやった。
このへんについては、次に続く。
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注:
ヒッポ、が何をしたいところなのか。(というより、そこに参加してる自分は何をするのか?、ですね。)
これはですね。人間というもの、全体を、本質的に、知りたい、という感じでしょうか?「知りたい」も、記述して理解する、かつ、腑に落ちるように。
ちょうど、私の教室生徒さんからのおすすめで「言葉の誕生を科学する」(小川洋子+岡ノ谷一夫 著)という本をざーっと読んで(すごく面白いのです)、やはり、人間という生き物の特徴は、言葉を使うということにある。その「言葉」とくに「多言語」を軸に、まず体験的に、そして思索もし、実験からの科学的調べもあり、さまざまの方面から知ろうと、表現しようと、している場。
(ああでもない、こうでもない、と、まとまらなくても、ブログの長文を、まずは書いてみる、のも、ヒッポ的と言っては、ヒッポに失礼か。。)
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