去年のネーチャーキャンプイン斑尾高原(ヒッポの国内合宿)では、好きなことをブースでやっていいよ、というので、これ幸いと、ノート作り+押葉作りをやった。その流れで、グループワーク(同じペンションに泊まってる人と相談してやることを決める)でも「大きな本」を作ることに。
これが自分としては願ってもない面白い展開だった。
自分の基本スキル(?)の「手製本」というものは、実は単体では存在できないもの。(白紙を使って、その技法を教えるのだ。まあ、専門家養成にはそれでいいけど、そうじゃない人にとっては「本」にはなりきらない。)
そういう余白が、みんなのアイデアを誘う感じがする。
今回の上海合宿では、「竹」はみんなで力を合わせて、一つのものを作る、ということだから、
「本」は、一人一人が思い出を残すものを作ろう、ということにして、ノート的なものにすることにした。
結果的には、メッセージを書きあったりする記念のサイン帳みたいになって、良かった。
みんなが交換しあって、書きあってるのを見て、すごく満足感があった。
まあ、意味的なことは事前の準備の時とか、終わった今はいろいろこねくりまわすけど、
現場では、まったく考えず、ただ、何かを作り終わってもらうことだけを考えていた。
というのも、2~30人くらいかな、と勝手に見積もっていた参加者が、ほぼ全員(80人)ということになり、持っていた半紙をどう使うか、とか、表紙をどのような形式にするか、というのが考えどころとなったからだ。
日本にいる時の準備から、紙なども提供してもらえる、ということだったので、素直にお願いした(合宿場所は学校だから色紙程度は揃っている)。だがどんな紙が出てくるかはわからない。で、合宿二日目に、提供していただいた紙を見て、それをどう使うかで、一人でもめた。
横位置(つまり絵本みたいに横長の本)の和本を作るのは決めたのだが、表紙掛け(表紙をつけること)を普通にやるのは、作業が複雑すぎて、80人では無理だろうと思った。となるとそれを楽な方法に変えなければならない。そうするためには、表紙用の紙のサイズが足りないので、紙を継がなければならない。持って行っていた千代紙風の折り紙も継いで使えばかわいい!と思いついた。(継ぐ手間と、そうしない場合の本番の大変さとを、天秤にかけた結果は明らかだった。)
幸い、製本のアクティヴィティは4日目で、時間はあったので、和紙を縦に半切りにしたり、表紙用の紙を糊で継いだりを、合間の時間や朝の時間に寄宿舎の廊下で少しずつやった。カッターナイフをはじめとする道具が自分の一組しかなく、多少の技術も要るので、こればっかりは私がやるしかない作業。その上、普段のやりやすい環境がないので、意外に時間がかかる。結局最後は会場での準備の時にまでずれ込んだ。(そしてそこでは有能な助手に手伝ってもらったけど。)
確か、本番前日に「本」準備チーム募集をして、ちょっと打ち合わせをし、本番前の午前にそのチームで準備をして、午後に本番、ということにした。「竹」以外、「料理」や「文化ショー」などのアクティヴィティは本番は半日1回だけなので、そこにいた人たちも流れてくれたりして、15人くらいが準備チームに参加してくれた。半分くらいは中国の人。うれしい。
そして、かなり準備してくけど、本当にやるのは現場、っていうヒッポの文化っていうか、いつもの姿勢は、自分にはすごくあってる。(文字から勉強するのじゃなく、音から言葉を自分に入れていく、ということはまさにその場でどうするか、ということだから必然的にこうなるんだろう。)
高校生メンバーのアドバイスを入れて、午前の準備で体験をした人が、午後の本番では教えるということにした。
穴位置の型紙を10組くらい作り、それを使い回してもらうことにする。ちゃんと下綴じをして(こよりを持ってないので、糸で)、仕上げ綴じの仕方は、ホワイトボードに書いて、必要なら写真を撮ってもらう。
午後、開始しばらくすると、私にやり方を聞いてくる人は居なくなり、私は竹チームの手伝い行った。とりあえずの伝達ゲーム成功。
下はできあがったもの。ピンクとオレンジの紙を3ミリ幅くらいで糊で継いで、二つ折りにしたのを表紙にしている。(タイトルは後で貼ったもの)
こういう場合はこれでよかったのだろう、と思いながらも、ひっかかることもあった。
中国の人たちが準備でどんどん何冊も作ってしまったりしたこと。
仕上がりはやっぱりそんなに綺麗にいかないので、アドバイスしたい気持ちがむくむくと来たこと。
が、自分はここではこれでいいんだな、と結論。
ちゃんとした製本をさせる、あるいはしてもらうことがこの場で必要なことではない。
自分は受け身だ。
向こうから、やってきたことや状況を楽しむ、というのが基本姿勢。
「製本」ということを仕事に選んだのはやはり必然なんだろうけど、いろんなものが来るのが、つくづく楽しい。
本の直しとかリフォームに限らず、すべて「注文で作る」ということで、仕事が始まる。(個展やってみない、とか、北京に教えに来て、とかも含めて。)この合宿では、自ら「やりたいんですけど、」と言ってきっかけを作っているのだけど、あとはいつもの通り流れにまかせている。
だから「製本」で終わりにしない、というか、その前やそのあとに何かできることがあるはずで、そうしてはじめてなんか「ワーク」っていうか、完結したものになる、っていうか、そういう感じがある。だけど、「製本屋」の私にはどうしたものかはわからない。でも、なにかとつながっていくことで、空白だからこそ、完結してないからこそ、できてくる可能性があるものだとは、すごくわかってる。
なにかと組み合わさった時に、はじめて役にたったりするものとしての製本。
自分にとっての、本、の多様性というのか、いかようにも対応してみたい、という気持ちがとてもある。
製本屋じゃなく、製本アーティストとして、表紙だけで何かアートな表現を探る、ももちろんありだし。
組み合わされるもの、状況に応じて、いろいろなポジションになるのを楽しみたい。
去年、ネーチャーキャンプの終わりにちょっと話した二名さんは、KJ法って知ってるか、とか、ヒッポは記述が弱い、とか示唆的なフレーズを残してくれた。今回は、みんなのサイン帳となり、メッセージや連絡先を書き合うものとなったが、いろいろやりたい。長谷川集平の「おべんとう絵本」とか。みんなでストーリーを順繰りにつないで、話を作るとか。
今年は来月、香港、11月には初アフリカ(トーゴ)を経て、12月にはイギリスへ。まだまだ、講習会が続くので、いろいろな状況を楽しみたい。
コメントする